その優しい星で… Navi:26
「もしもし」
『ん? あぁ、アテナか』
「お久しぶりです」
挨拶もほどほどに、本題を切り出すことにした。
まぁ、お話しするって言っても私はそこまで口がうまくないから面白くはないでしょうけど。
「今日灯里ちゃんがお泊りするみたいなんですけど、連絡はしてましたか?」
『いや、初耳だ。ちょうど今買い物から帰って来たところなんだが……あぁちょっと待ってくれ。テーブルの上に書置きがある』
ことん、と受話器を置く音が向こう側から聞こえ、衛宮さんの足音が遠ざかって、近づいて、最後に紙の音が聞こえた。
書いてあることを棒読みで流しながら、彼は「だそうだ」と言って受話器の向こうで笑った。
「そうですか。私じゃ頼りないかもしれませんけど、ちゃんと面倒は見ますね」
『この前みたいに面倒を見られるようなことにはなるなよ?』
くつくつと意地悪そうに笑われながら、それがレデントーレの時のことなんだと解った。
アミちゃん、きっと将来はいいお嫁さんになるんだろうなぁ。
あんな小さいのに面倒見が良くて、優しいし、可愛いし。きっと学校でも人気者に違いない。
「そういえば、アリシアちゃんはもう帰ってますか?」
『いや、まだだな。今日は久しぶりに夜の方にも予約を入れたから、帰ってくるのは8時か……9時前になるだろうな』
「そうですか」
『なんだ? 用件だけなら聞いとくぞ?』
「いえ、ちょっとお話ししたくなっただけですから。いないんならいいんです」
そうか、とそれ以上のことは言わず衛宮さんは黙ってしまった。
別に彼に用事があるわけじゃないんだけど、なんとなく、もうちょっとお話ししたくなった。
「……アルトリアちゃん。あれから連絡は取ってるんですか?」
『いや……。もともと連絡手段なんて持たないような奴だからな。メールも電話も、行き先も分からない』
言った内容とは裏腹に、なぜかそこまで悲しそうには聞こえなかった。
現実的な色恋沙汰なんてこんなものなのだろうか。別に恋愛に理想を抱くような――――恋に恋してるわけじゃないけど、少し気になってしまった。
「衛宮さんはそれでよかったんですか?」
『ん?』
「あ、ごめんなさい」
『あぁ、いいよ。謝らなくても』
言ってから後悔した。
なんで衛宮さんを責めるような言葉になってしまったんだろう。離れ離れになって、一番つらいのは彼の筈なのに。
私、ちょっと無神経だな……。
『連絡は取ってないし、写真なんて色着いたモノもないけどさ。なんていうんだろうな……今になって寂しくはないんだ』
「そう、なんですか?」
『あぁ。そうなんだ』
電話の向こう側で、苦笑いしている彼の顔がありありと浮かんだ。
なんだか、私が励まされてるみたいになってきてる。別に励まそう、とか思って話していたわけじゃないんだけど、なんだか悪いな、こういうの。きっと衛宮さんは気になんてしてないんだろうけど、ちょっぴりへこむ。
「お互いに、それで納得したんですね」
『正味、俺はまだそこまで踏ん切れてるかどうかはわからない。たす……行かなくていいなら、行かせたくなかった』
「……本当に好きだったんですね」
『そう言われると照れるな。まぁ、正味どころは分からなくても、納得はしたつもりだ』
「強いですね、衛宮さんは」
『そうか? 俺なんて、中身を開けてみれば小さい奴だと思うがな』
衛宮さんは自分の事を小さい奴だと言った。
でも、私からすれば彼は本当に強い人で、大きくて……。
「……小さな巨人……」
『ん? なんか言ったか?』
見えもしないのに首を振りながら、いいえ、と言う。
彼は、なんでこんなにも遠いんだろう。いや、彼自身、自分を遠くから見ているだけなのかもしれない。だから自分の事を『小さい奴』っていうのかも。
今度、ちゃんとアリシアちゃんに言っておかなきゃいけなくなっちゃった。まぁ、もしかしなくても、彼女はとっくにそのことに気が付いてるのかもしれないけど、うん。
衛宮さんが自分自身を近くで見れない分、私達がちゃんと近くにいてあげないといけないのかもしれない。
主に、アリシアちゃんとかが。
「先輩、食堂行きますよ〜?」
「あ、うん。それじゃあ、また」
『あぁ。またな』
受話器が向こう側で置かれるのを待ってからこっちも置いた。
横にはアリスちゃんと、灯里ちゃん。仲よさそうに話すふたりは本当に楽しそうで、少し嬉しい。
今日の食事は、ちょっと賑やかだ。
* * * * *
「ふぅ……」
受話器を置く。
時計を見れば、少ない会話ながら結構な時間話していたらしい。
「……さて、今日はひとり分少ないな」
さくさくっと食事の準備を進めていく。
もう出来上がるというところで、聞き慣れた声が下から響いてきた。
「おかえり」
「うふふ。ただいまかえりました」
「もうちょっとで出来上がるから、適当に座って待っててくれ」
「手伝いますよ?」
「仕事から帰ってきた人をすぐに働かせるほど俺は出来てないつもりはないよ」
「あらあら。なら、お言葉に甘えて」
すとん、とテーブルについて、小さな子供のように体を揺すりながら鼻歌なんかを歌っている。
そういえば、アテナが巧い巧いって言われているからあんまり聞くことはないが、アリシアだって人並み以上に舟謳は巧い。まぁそれでも別次元なのがアテナなわけだが。
「……そういえば、灯里ちゃんにアリア社長はどうしたんですか?」
「あぁ、どうもアリスのところにお泊りするらしい。だから今日は俺とアリシアとだけだな」
「へぇ、そうなんですか………………そーなんですか!?」
「きゅ、急にどうした?」
何でもありませんよ、といつになく上ずった声で返事をしてくるアリシア。
危うく驚いて器を落としてしまうところだった。
それにしても本人はなんでもないと言っているものの、アリシアがここまで取り乱すのも珍しい。
灯里とアリア社長がいないと何か、あるのだ、ろ…………まさか。
「アリシア……。もしかしなくても、俺がなにか変なことするんじゃないか、とか思ってないか?」
「へぇっ!? へ、変なことってどんなことですか……っ?」
「はぁ、やっぱり。俺はそんな奴じゃないから、安心しろ」
どう安心しろ、というのかは俺自身にもまったく分からなかったが、とにかく、そういうことをする気は毛頭ないのである。
というよりも、そうやって見られていた、ということに少なからずショックを覚える。そこまで信用ないか、俺って。
……まぁ、もう若くはないが、年頃の男がいればそう考えるのも不思議じゃないけどさ。
「ちょっと、くらいなら……」
「んー? なんか言ったか……?」
「え? い、いえ。何にも言ってませんよー?」
どうも落ち着かないようである。
言ったのが拙かったか。ん、やっぱり昔から言われてた「デリカシーがない」というのはこういうことを言うのだろうか。むしろ空気を読め、ということなのか。……悪いが、俺には一生分かりそうにもないな。
開き直るわけじゃないけど、今度から出来るだけ気を付けるとしよう。そうしよう。
「……さ、出来たぞ。そうだな、灯里達もいないし、久しぶりにお酒でもあけるか?」
そう訊いておきながらだが、実は結構酒に合う料理をチョイスしていたりする。
勧めておきながら自分が飲む気満々だな、これ。いやはや恥ずかしいことだ。
「うふふ。いいですね、お酒。あけましょう」
とんとん、と軽い拍子で冷蔵庫へ駆けていく。
瓶5本ほどを抱えて帰ってきたのを見る限り、あまり飲むと言うほど飲まないらしい。アリシアにしては。
「明日も予約ありますしね。ちょっとした息抜き程度のものですよ」
嬉々として、食事に手を付ける前に1本目をあけた。
並々とグラスに注ぐと、今度はどうやらお酌もしてくれるらしい。こちらに瓶の口を向けて、グラスを待っていた。
その行為に少し笑いながら、ご厚意に甘えてグラスを向けると、同じように並々と注いでくれた。
ちょん、とグラスを手に持ってニコニコしながら待つ様は、早く飲みたいと言っているようであった。
「それじゃ、乾杯」
「乾杯」
かちん、と綺麗な音をたててグラスを打ち合わせる。
中のお酒がこぼれそうになるのもご愛敬、ずず、と啜って量を減らし、それから半分ほどまで飲み干す。
対して、アリシアはくいっとお猪口でも煽るようにグラスを傾けると、一気に全部を飲み干していた。相変わらずのうわばみである。
「……」
「……」
黙々と食事が進む。
灯里や社長がどれだけ俺達の会話の繋ぎになってくれていたかがありありとわかってしまう瞬間だ。アリシアは決して口数が多いわけじゃないし、俺は話上手でもなければ気の利いたセリフも出てはこない。
別に気障ったらしく会話するつもりはないのだが……。
「ふぅ……」
「早いな、アリシア」
2本目を飲みきっていた。
食事が始まってまだ5分と経っていない。アリシアはなぜかやたらと飲んでいる。
3本目の瓶をあけ、グラスに注いでは飲んでいる。ひとりで椀子蕎麦でもしてるようにも見えてくる。
「お、おい。そんなに一気に飲んだら……」
「あらあら。大丈夫ですよ、うふ、うふふ」
「全然大丈夫そうに見えないんだが……」
アルコールの回りがやけに早い。というか、アリシアが酔い始めているところを初めて見た気がする。
いつもならどんなに飲んでも頬に軽く朱がさす程度なのに、今は鼻頭まで赤くなり始めていた。
止めた方がよさそうだ。
「ほら、今日はもうやめとけ。明日に響く」
「ん。明日、休みたいです」
「馬鹿言うな。明日はちゃんと予約が朝から入ってるんだぞ? …………もしかして、気分がすぐれないのか? なら、俺からちゃんとお客さまにはキャンセルの電話も入れるし……」
突然どうしたんだろうか。
今まで、どんなことがあっても自分から「休みたい」なんて言わなかったのに。
一応、熱があるかどうかだけは見ておく必要があるな。体温計はどこにあったか……。
立ち上がって体温計を取りに行こうとすると、くいっと袖を軽い力で引かれた。
「……士郎さん。今日、もう酔っちゃって帰れそうにないです」
「それだけじゃないだろ。本当に風邪とかじゃないのか?」
ふるふると首を横に振りつつ、袖を摘む指に力が入った。
アリシアが見上げてくる。潤んだ瞳と、火照った肌。その仕草がどうにもいつもの落ち着いたアリシアのものではなく、年相応、という彼女があまり見せない一面だった。甘えたい。そんな欲求がひしひしと伝わってくるようだった。
どうにも、らしくない。
「…………しろーさん」
「お、ちょっと……アリ、シア!?」
ずいずいと酔った勢いなのか、何なのか……。立ち上がったアリシアはどんどん距離を詰めてきた。
俺は一歩一歩歩み寄って来るアリシアを正面に、一歩一歩退いて行く。だが、摘まれていた筈の袖は、いつの間にかがっちりと腕を組まれていた。動けない。
「しろーさん……私……私」
「ちょっと待て……! 落ち着け、アリシア!」
虚ろな瞳に、俺が映っているのが見えるほどに近づかれる。はぁ、はぁ、と少し酒臭い吐息もすぐそこに聞こえる。
こちらまで当てられてしまいそうな臭気と、やけに色っぽいアリシアの表情。
このまま流されてもいいのではないか、とまで思いたくなってくる。だが、それでいいのか衛宮士郎。
「アリシア……!」
張り付いていたアリシアをぐっと突き放す。
「はぁ……はぁ……」
アリシアの言葉を待たず、掌を額に当てようとすると、はっとしたアリシアはすぐに俺の手を払いのけようとしたが、そう簡単にはいかない。ぐいぐいと力を込めて押し返そうとしてくるものの、俺の力には逆らえない。
「…………っ」
じゅっと音が出そうなほど熱かった。酒で火照っていることを除いても、だ。
掌が当てられた瞬間にアリシアは諦めたのか、申し訳なさそうに肩を寄せ上げ、俯き加減に顔を伏せてしまった。
腹が立った。無性に腹が立った。
「アリシア、なんで言わなかったんだ」
「……しろーさん。私、だって……」
「だって、じゃない……! すごい熱じゃないか。どうして黙ってたんだ!?」
「心配、させたくなくて……」
――――呆れた。
ガシガシと音が出るほど頭を掻いてから、ため息をついた。
アリシアはやっぱり顔を合わせようとはせず、俺は軽くアリシアのデコをはたいた。ぺちん、と可愛い音がして、アリシアは何が何だかわからない、という顔をして見詰め直してきた。
「……ばか」
「あっ」
今度は俺がアリシアを引っ張る。
ぐいぐいと引っ張って行って、灯里が寝泊まりしているベッドまで連れてきた。
「ここで待ってろ」
座らせるだけ座らせて、さっさと準備を始める。
氷枕に、冷水、手拭い、飲み水と一通りのものをベッドの横に運んでから、アリシアの着替えを取りにアパートまで走って行く。
それらしいパジャマやネグリジェ等を腕いっぱいに抱えて帰って来ると、アリシアは慌てて、
「そ、それくらいは自分でします……!」
と、腕いっぱいの着替えを奪ってしまった。
確かに、着替えてるところやらこういう服はあまり見ていいものじゃないことぐらい、分かってるつもりなのだが……。
心配なのだ。
「じゃあ、着替えたら呼んでくれ」
「あ……はい」
階段を降りて、もう一度ため息を吐く。
どうして一目見て分からなかったんだか……。それともアルコールが切っ掛けで出てきたとかか?
どっちにしても気がつけ馬鹿野郎……。
「し、しろーさーん?」
「あぁ、今行く」
不安げな声で呼ばれた。
それを放っておくことも出来ずにすぐに駆け付けるとする。
「じゃあ、今日はもう寝て、明日の予約は俺が断っておく」
「だ、大丈夫ですっ。寝たらよくなりますから、キャンセルしなくてもいいですよ」
「馬鹿。風邪は治ったって時が一番気をつけなきゃならないんだぞ? いいから、寝てろよ」
無理矢理ベッドに寝かせて、掛け布団をかける。
アリシアは顔を半分ほど埋めて、こちらを見上げた。
「すいません」
「全くだ。風邪なら風邪だってちゃんと言え」
今度こそ顔を全部埋めてしまった。
じゃらら、と氷枕が鳴る。
「頭、痛くないか?」
「大丈夫です。冷たくて、気持ちいいです」
「体は? だるいとか、怖気がするとか」
「ないですよ」
「喉は乾いてないか?」
「はい。着換える時に少しだけ飲んだんで、大丈夫です」
「なんか軽く食べるものいるか? 飯の途中だったからな、腹は減ってないか?」
「もう、大丈夫ですってば」
迷惑そうな口調とは裏腹に、その顔はとても嬉しそうだった。
しばらくは黙って横にいたが、どうも俺がいると落ち着いて寝られないらしい。さっきからそわそわと忙しない。病人に無茶をさせてはいけないな。……そろそろ降りておくか。
「――――あ」
「ん?」
階段に向かおうと椅子から立ち上がった時だった。
どこかしら切なそうに、アリシアが声を漏らした。
「……あの、寝るまで……私が、その」
「…………りょーかい。いるよ、アリシアが寝ても。隣にいる」
「あ……はい。ありがとうございます……」
ほぅっと、少し固かった表情が和らぐ。
とろんとした眼のせいでいつもの優しい笑顔、と言うわけではなかったが、ほにゃりとしたやわらかな笑顔をくれた。
それから、ただなにも話すこともなく、濡らした手拭いが温かくなったら冷水に浸して冷まし、アリシアの額にのせる、という行為を続ける。
アリシアはさっきまでの妙な緊張はどこにいったのか、安心しきった表情でこちらを見ている。
「しろーさん」
「何だ?」
「うふふ。呼んだだけです」
「そうか」
こうやって俺をからかい始めたところを見る限り、それなりに落ち着いてきたらしい。
酒が効いたかな。風邪の症状が出てしまったのは酒で酔ってしまったせいかもしれないが、逆に、酒を飲んで全身の体温を上げ、代謝を高めることでより早く快方へ向かっているのかもしれない。
飲んで正解だったのかもな。
「…………しろーさん」
「何だ?」
「んみゅ……すぅー……」
「……寝言か。子供みたいな寝言だな」
まるで、親に甘える娘のようだ。
そんなことを考えて、ふと違和感が残った。
――――親、か。
「……ありがとう、アリシア」
「すぅ……すぅ……」
なんとなく、お礼を言っておきたかった。
一晩中、アリシアの隣で、アリシアだけを見つめていた。
* * * * *
「……う、ん……」
目を開けると、自分のアパートの天井じゃなかった。
懐かしい、下宿時代の朝一番の景色だった。それなのに気持のいいことがないのは、汗でべたべたになっているからだろう。
「…………しろーさん?」
見回してみると、部屋のどこにも彼の姿がなかった。
昨日、寝る前のまま、部屋は整えられている。下の階からも朝食を作る音もしない。
風邪のせいじゃない。ぞくりと背筋が凍ってしまいそうな気がした。
「し、しろーさんっ」
慌ただしく階段を駆け下りていく。窓から見える空はまだ暗く、ちょうど夜明け前らしい。
こんな時間にいなくなるなんて、絶対におかしい。
「お」
「あ」
――――そんなわけがなかった。
冷水が入った器を持ちながら、呆然と私を見下ろしてくる士郎さん。その視線に、どうしてだか少し腹が立った。
「おはよう、アリシア――――っと!?」
有無を言わさず、士郎さんの胸に飛び込んだ。
背中に腕をまわして、力いっぱいに抱きしめる。汗でぬれた体や服のことも気にしないで、全身をなすりつけるように。
胸に顔をうずめながら見上げると、士郎さんは困惑した顔つきでこちらを見ていた。
「ど、どうしたんだ?」
「士郎さん」
「お、おう」
「風邪ひいたときって、とっても心細くなるんです。知ってましたか?」
もう一度ぎゅっと抱きしめる。すると、士郎さんは片腕だけだけど、抱き返してくれた。
子供をあやすように後頭部をぽんぽん、と軽く叩かれて……。少し腹が立っていた気分も一気になくなってしまった。
「ごめんな、アリシア」
「いいんです。でも、だから……約束はちゃんと守ってくださいね」
「約束……?」
「隣にいてくれるって、言ったじゃないですか」
「……あぁ。そうだったな。そうだ」
士郎さんがどういうつもりで「そうだ」って言ってくれたのかは知らない。
でも、私は勝手にこう思ってる。
――――私が永眠《ね》るまで、隣にいてください。
とても勝手な、本当にわがままな約束。
一方的すぎて、自分自身でも嫌になるくらいに卑しい約束。
きっとこんな私の思いは彼に伝わっていない。
「…………ちゃんといる。言っただろ、俺もお前に見ていてもらわないといけないんだ」
「そうでしたね」
……一方的?
そういえば、私だけじゃなかった。一方的な約束を取り付けてたのは私だけじゃなかったっけ。
安心したわけじゃない。ただ、嬉しかった。
何が、なのかは自分でもよく分からない。お互いが一方的な約束を取り付けることで、相互の約束になったからなのか。
それとも、ただ純粋に“いる”と言ってくれたことに対してなのか。
「さて、アリシアも起きたことだし、朝食でも作るか。おかゆとかがいいか?」
「はい。士郎さんが作ってくれたものなら」
そうか、と言ってから士郎さんはキッチンへ向かった。
昨日の残りの冷ご飯を冷蔵庫から取り出して、言う。
「あのさ、アリシア。くっつかれてたらやりにくいんだけど……」
「いやです。寂いしいんですもん」
「……〜〜。まったく、怪我しても知らないからな」
「はい」
背中から胸の方へ腕をまわしてぎゅっと抱きつく。
今さらだけど、なんで今日はこんなに大胆になってるんだろう。風邪のせい、だけじゃない気がする。
「……士郎さん」
「なんだ?」
「呼んでみただけです……」
「そうか」
安心する。
こうやって抱きついて、すぐそばにいるととても安心する。
それは、士郎さんが無意識のうちにどこかへ行ってしまいそうな人だということもあるけど、たぶんそれだけじゃない。
いつも近くで見てるけど、ここまで近くにいたことは、たぶん、ない。
良くても手を繋いだくらい。
「出来たぞ」
「もうですか?」
「もうって、10分はあったけどな……」
「え?」
……10分?
そんなにずっと抱きついてたの?
「す、すいません……っ」
「なんでさ。寂しいから一緒にいたんだろ。アリシアが謝ることじゃない」
「あ、う……ほんとですか?」
「あぁ。なんていうか……むしろありがたかった」
「ど、どうしてですか?」
「……どうしても。俺にもわからない。けど、ありがとう」
その一言が、無性に嬉しかった。
だから、その言葉をもう一度聞くことが出来るように……いつも通りに戻ろう。
日は昇り切り、空には小鳥が飛び交っている。
今日も空は青く、雲は白い。波は荒れておらず、静かな波音を響かせている。
「本当に大丈夫なのか……?」
「はい。無茶はしてません」
真っ白な自分のゴンドラに乗り移る。
「ならいいが……」
「士郎さんのおかげでもう十分元気になりましたよ」
体中にちゃんと力は入る。
バランスが崩れるほど疲れてもいない。熱もないし、頭もスッキリしている。
オールを水面につけ、思いっきり漕いでみせる。
「ほら、ね?」
「みたいだな。じゃあ、無理だけはするなよ」
「はい! 行ってきますっ」
「いってらっしゃい」
手を振り合いながら今日もお仕事に出掛ける。
いつも通りの朝。
だというのに、いつもの朝よりも断然清々しい。
境界線が曖昧な地平線を眺めながら、手前にあるサン・マルコ広場を視界におさめる。
絵に残しておきたいと思うほど、輝かしい光景だ。
「お客様、お手をどうぞ――――!」
今日も元気に、お仕事しましょう!
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テーマ:自作小説(二次創作) - ジャンル:小説・文学



