その優しい星で… Navi:29
「いよう、お嬢ちゃん。久しぶりっ」
お嬢ちゃん、というからには、横で書類整理をしている灯里に話しかけているのだろう。
大柄で、少しばかり胡散臭い男性が手を挙げながらカウンターの向こうにやってきた。
「灯里?」
「…………」
「…………」
微妙な沈黙が続いて、男性が頭に手を置く。
「あちゃあ。覚えてねえか、オイラのこと。ま、ずいぶん前に一回会っただけだしなぁ」
さすがの灯里もギクッ、と体を硬直させる。
とりあえず、顛末を見届けるとしよう。でもまぁ、お客様に変わりはないだろうから、一応お茶のようでもしておくかな。
遠目に映る男性は「うーむ」と唸りながら、どうにかして思い出してもらおうとしているのだろう、自分からは名乗らず、灯里にヒントを繰り出した。
「ヒント1『ため息橋』。ヒント2『アホな弟』」
そういうと、灯里はすぐにハッとして失礼ながら男性を指差し、男性の方はそんなことを微塵も気にせずにお茶目な態度で受け取った。
「ああ――っ! 暁さんのお兄さん」
「ぴんぽーん、正解」
「へぇ。暁に兄弟がいたのか……」
紅茶を持って来ながら言うと、男性はニカッとこちらにも愛想のいい笑顔を向けた。
「あんたが暁の言ってた衛宮士郎だな。オイラは出雲新太ってんだ、よろしくなっ」
大柄な、言ってしまえばでっぷりとした体格の暁の兄、新太はそう言って手を差し出してきた。
少し驚きつつも、その手を握り返し、改めてこちらからも自己紹介をする。
「その感じですともうご存じなのでしょうが、衛宮士郎です。よろしくお願いします」
「おいおい、あんたの方が年上なんじゃないのか? 敬語なんて水臭いぜ、やめてくれよ」
「そうか。なら、普通に、な」
握っていた手をもう一度強く握り合い、ぱっと手を離す。
どうやら暁とは違って、結構フランクな性格をしてるらしい。これは想像でしかないのだけど、暁のあの少し卑屈っぽい性格はこの兄のせいではないだろうか、とも思った。
「今日はどういったご用件で?」
灯里がお茶をすすりながら、視線を上げて新太に訊ねた。
見た目からは想像しづらい上品さで紅茶を飲んでいた新太が灯里に顔を向けて、少し自慢げに言って見せた。
「オイラは星間貿易関係の仕事をしててな。今回は、まぁ、デキの悪い弟から聞いたお嬢ちゃんの腕を見込んで、ぜひ、今度のオイラの仕事を手伝って欲しいんだ。……っと。ヤバい荷物じゃないから安心してなっ」
人が思っているより、どうやら彼は自分の見た目に気を使っているらしい。
暁の兄、というからにはまだ20代あって後半。それが星間貿易なんて大きな仕事をしてれば、舐められることだって少なくはないはずだろう。若く見せないために、老け作りするのは珍しいことじゃない。だが、その見た目ゆえに、変な方向に見られることもある。と、そういう背景がありありと浮かんだ。
なんにしても、灯里が初めてウンディーネとして指名された。うん、今日は赤飯だな。……いや、それはちょっとやりすぎか?
せめて鯛、とかか?
「……ほへっ?」
灯里にしては静かだと思ってみれば、どうやら状況が飲み込めていないらしい。
新太を見ると、案の定呆れ返っていた。
「いや……『ほへっ?』じゃなくてさ。オイラの話、ちゃんと聞いてた?」
なるほどなぁ、と別に納得してる様子を見ると、暁からは灯里の事を事細かに聞いていたらしい。
新太がなぜわざわざシングルに仕事の依頼をしに来たのかを考えれば、灯里の事は“訊いた”のではなく“聞いた”ということがわかる。逆に言えば、暁はそれだけ灯里の事を家族に言いふらしていたということだ。そしてこの男の性格だ、絶対に暁をからかっているだろう。そのときの暁の慌て様は想像に難くない。
「も一回言うぞ? ぜひ、ウンディーネの仕事で、お嬢ちゃんを指名させてもらいてえんだ」
今度は直接的に、ずばりと言った。
そこでようやく灯里の理解も追いついたのか、大声で叫びをあげて、目を点にしたまま忙しなくロビーをうろうろと歩きまわり始めた。
様子を見ている限り、いつになったら戻ってくるかわからないような興奮の仕方なので、仕方無く俺が代わりに対応をすませる。
「それで、運搬か?」
「おうとも。商品はネオ・ヴェネツィアンガラスだ」
「ほー。……それで、日時は?」
「急な話だが、明日だ。どうだ、イケそうかい?」
「ちょっと待ってくれ」
シングルのゴンドラに客を乗せるとなると、プリマの同乗が必須事項となる。
まぁ、灯里ならこじつけで済ませてしまいそうではあるが。
「あぁ、アリシアのスケジュールは夜だけだし、昼間なら大丈夫だ」
「朝からの仕事だから、そのあたりは心配いらねえ。ただちっと早いけどな」
「問題ない。新太は空港でいるんだな?」
「ああ。打ち合わせとか、他にも荷物はあるしな」
ある程度の打ち合わせを済ませ、あとは無事に運ぶだけ、となった頃、ずっと黙りこんで嬉しそうに浮かれていた灯里が一段と大きな声を上げた。
「士郎さんっ、アリシアさんに報告してきますねっ」
そう言って、灯里は慌ただしく階段を駆け上がって行った。
灯里も仕事の話なんだからしっかり聞いといたほうがいいのに。……まぁ、あの状態でしっかり頭に入るのか、と聞かれれば素直に頷きは出来ないか。笑い事じゃないけどな。
新太は仕事があるから、とすぐに帰った。
携帯端末でなにやら商人特有のいやらしさを感じさせないイヤラシイ会話をしながら、街の陰に消えて行った。
あの年で凄いもんだ。片や、アクアの『正義の味方』のサラマンダー、と。何気に稼ぎが良さそうだな、出雲家は。
親孝行してるなぁ。
……親孝行か。切嗣に親孝行なんて考えたこともなかったな。
ただ、『正義の味方』になることが一番の親孝行で、またそれとは別に俺の一番の……いや、たったひとつの願いでもあった、と。
この世界じゃ、切嗣のような『正義の味方』になることは出来ないだろう。遠すぎるから。
だけど、この世界に来て、俺はどうなっただろう。『正義の味方』は今でもたったひとつの願いであることには変わりがない。だけど、ワガママが出来た。
俺は、ここにいたい。
『正義の味方』になれないから去るなんて、出来ない。
…………あぁ、そうだ。大切なものが、この手には出来た。……気がする。
「はは」
だんだんと遠くなる。
理想から、願いから、夢から。
だけども、その正反対の位置にいた、『選んではいけない』と無意識に思っていた道が見えた。
見ないように、願わないようにしていたその未知が、はっきりと映った。
「…………ありがとう、だな」
何に対してのありがとうなのかは、自分でもよくわかっていない。
ただはっきりと分かっているのは、チャンスを与えてくれた遠坂に対して。
「さて、と。夕飯と明日の朝の弁当でも作るかなーっと」
自分でも驚くぐらいに意気揚揚と、キッチンへ向かった。
「おはよ――ございますっ」
灯里が声を張り上げて、澄んだ空気に声が響いた。
工房の熱が外に流れ出していて、それほど寒くは感じなかった。
「ARIAカンパニーからやって参りました、水無灯里と申す者ですっ」
そんな挨拶が終わるかと思った時、奥の方から、おそらく親方だろう人物が表に出てきた。
「おー。朝早くからごくろーさん」
「はひっ。まだまだ半人前ですが」
「んじゃ、荷物運び出してくれる?」
「はひっ、お任せください、まだまだ半人前ですがっ」
灯里の頭越しに中をのぞいてみると、結構な量のダンボール箱にネオ・ヴェネツィアンガラスが詰められていた。
ガラスというのは、透明な見た目に反して重い。あれだけ詰められていればそれなりに重くなっているだろう。それにあの量だ、やはり荷物持ちというだけででもついてきて良かった。
灯里が心配というのはもちろんだが、商品ということもある。
灯里に注意をむけつつ、自分もひとつダンボールを抱えた。
「綺麗……」
灯里がぽつりともらす。
言われてから、ダンボールから覗くネオ・ヴェネツィアンガラスを見てみる。
これが全部ガラスで作られているとは思えないほど、様々な色を出している。
「大切に運ばなきゃですね♡」
「そうね」
「いや……うん、いいか。そうだな」
綺麗でなくとも大切に運ぼう、と言いたかったのだが、言ったところで無駄だろう。
灯里にとって、“素敵でない”ものの方が珍しいんだからな。馬に念仏、暖簾に腕押し、糠に釘、猫に小判、というわけだ。
と。
「…………」
背の低い、アルよりは老けて見える少年だか青年だか見分けがつきづらい人物が正面に立っていた。
「あ、そいつ今日の運搬の立ち合い。ビシバシ使ってやってな」
親方が奥で作業をしながら、そう教えてくれた。
人の事を言えた義理じゃないが、むすっとした仏頂面のままで突っ立っていられると、どことなく気まずい。
「よろしくっス」
「あっ、こちらこそ……」
よろしく、と灯里が続けるより早く、彼は灯里の持っていたダンボールを奪い、運びだした。
俺の方も一瞬だけみたが、すぐに目をそらし、そそくさと運び始めた。
……ふむ?
「あと、こちらですよね?」
灯里が残っているダンボールを持ち上げると、入り口付近でいた彼が驚いたように身体を強張らせ、荷物を舟に乗せ、すぐに戻って灯里の荷物をまた取って行ってしまった。
「…………。あの、私も運ぶの手伝いますよ。どんどん使ってください」
「結構っス。このガラス達はマエストロが精魂込めて作った、僕達職人の努力の結晶なんです」
ぼそりと、ふてくされたような態度で続ける。
「難クセつけられちゃ、たまりませんから」
「あーあ……」
誰にも聞こえないように、口の中で呟いておいた。
……それはさすがに言っちゃいけないだろう。こっちだって仕事で来てるんだ、半端な気持ちで臨んでるわけじゃない。まぁ、信用できないっていうんなら、灯里と新太には悪いが……この仕事、降りた方がいい。
と。
そんなことを考えている間に、親方が俺たちの横を通り抜けて、彼に並んだ。
「こら!」
「あてっ」
荷物を持っているからだろうか、軽く拳骨を彼の頭に喰らわせた。
「男のくせにいつまでもウジウジいてんじゃねえ。ましてや部外者に八ツ当たりすんな。俺たちゃ誇りをもってやってりゃいいんだ。シャンとしろ、シャンと」
「はい」
情けない声を出しながら、彼はダンボールを足元に置いて、親方と一緒に頭を下げる。
「いやぁ、スンマセンでした」
「いえ」
ダンボールは灯里と彼と俺でゴンドラに運び込み、思っていた以上にすぐ終わった。
まぁ、あるといっても10箱もなければそれはそうか。
で、だ。
……ゴンドラの後ろと前でなんでこれだけ空気が違うんだか。
灯里はネオ・ヴェネツィアンガラスを運べるというだけで嬉しそうだし、なによりこれが指名ありの初仕事なんだから張り切って当然か。
変わって、前の空気の重いこと。まだ納得がいかないのか、ぶすっとした態度で座り込んでいる。
「今日は一日、よろしくお願いしますっ」
「はあ」
「私、ネオ・ヴェネツィアンガラス見たの初めてなんです」
「はあ」
「これ全部さっきのマエストロが作ったんですか?」
「ええ、まあ」
まさに気のない返事の代表。
適当過ぎる言葉で返してくる。こういうところを見ると、つくづくこの世界の人は気が長いというか……、そもそも我慢なんてしてないんじゃないだろうか。俺だって無愛想だ無愛想だと言われてはきたが、それなりの礼儀は持っているつもりだ。
……まぁ、彼の気持ちは分からないでもない。
「ピカピカキラキラ、宝物を運んでいる気持ちになっちゃいますねー」
灯里がそう言うと、彼はまだ膨れながらも、すこし朱の差した顔で振り向いた。
……だろうとも。その“反対”に腹を立てているんだろうから、嬉しく思って当然だろう。
「本当にそう思ってくれてます?」
だが、よほどひどく言われたのだろうか。
彼が特別ひねくれてるわけではないのだろうが、灯里に訊き返した。
「はいっ」
もちろん、灯里は即答した。
灯里が社交辞令なんかを言うはずもなく、それを知っている俺は安心して会話を聞く側に回る。
悪くはならない。きっと、いつものように灯里は楽しむ。
「灯里ちゃん。マンホームのヴェネツィアンガラスは、千年以上の伝統があったのよ。鉛を含まないソーダ石灰が最大の特長で、あらゆる色を表現できたんですって」
「ほへー。だからこんなにカラフルなんですねえ」
「ええ」
こちらはこちらで相変わらずの空気を醸し出しながら、期待に胸を膨らませている。
そんなふたりを見かねてか、彼もいよいよ口を開いた。
「ヴェネツィアンガラスの発展にもっとも寄与したのは、1291年に出された法令だと言われてるんス」
好きなことは、語りたい。
また、その良さを、知らない人に知ってほしい。そんな自然な感情を感じた。
はっとして、アリシアの顔を見た。目と目があって、アリシアはくすくすと笑った。……やっぱり確信犯か。
こういうところ、よく気が回ると思う。
「どういう法令だったんですか?」
そしてもちろん、灯里が食いつくことも予想してだろう。
あとは勝手に灯里がやってくれるだろう。本人も意識しないで、だ。
「ガラス職人やその家族までも、当時の生産拠点だったムラノ島に集中して住ませた法律で、島外に逃げる者は厳しく罰し、功績を上げた者には手厚い保障を与えるという、アメとムチの掟っス。そうまでしてすることによって、独自の技術と名声は守られ、発展してきたんです」
「ほへー」
今では考えられない、少しトンだ法律に灯里は目を丸めた。
そう言われれば、魔術師にも近いものがある。一子相伝の、つまるところ『魔術回路』だ。
まぁ、そんなものよりもずっとこっちのほうが健全と言えば健全だ。
「む。社長、それはみんなの分もあるんだぞ?」
「にゅっ」
「あー、私のおやつ袋」
「おやつ?」
「……食べます? 士郎さんが作ったのはおいしいですよ〜」
「ぜひっ」
そこで彼は強く頷いた。
まぁ、立ち合い人くらいいるだろうと思って多めに作っては来ていたが、そこまで期待されるようなものじゃないぞ。
たかだか堅焼きのビスケットだし。……完全に休憩という空気が流れ始め、灯里もオールを置いて座り込んだ。
パリパリとビスケットが噛まれる音が鳴り、次いで灯里の至福の表情が広がる。
「おいひーっ」
「うまいっス」
「そりゃどうも。作った甲斐があるってもんだ」
しばらくヴェネツィアンガラスの事を中心に雑談が続いて、いやぁ、と灯里がどこかおっさんくさく息を漏らす。
「しかし、伊達に伝統の重みがあるワケではないのですねぇ」
「いやいや。しかし、その発展と栄光の歴史も永遠ではなかったんスよ」
「ほほーう。と申しますと?」
「……アクア・アルタだな。……マンホームのヴェネツィアが沈んでしまったという、大規模なもの」
「そっス。その時にガラス職人達も世界中に散り散りになってしまったんです。思えば、あのときヴェネツィアンガラス本来の高度な技術は失われてしまったのかもしれません」
そう言って、彼は静かにビスケットを食んだ。
ビスケットが割れる音だけが水面に反射して、やけに大きく聞こえた。
「そして、アクアにネオ・ヴェネツィアを建造することが決まった時に、ヴェネツィアンガラスも復活させる機運が高まったんです。文献資料集めから、かつての職人達の伝統技術を受け継いだ人探し。本当に何もかもゼロからスタートしたそうっス」
そんなに難しいことには聞こえないようで、よく考えてみれば、これは本当に難しいことだ。
閉じ込められ高まった技術はあまり外部に漏れなかった、ということから考えて、文献や資料集めはほとんど絶望的。なぜなら、一度染みついた習慣はなかなか抜けないからだ。ある種麻薬のようなものである。
……つまり、アクア・アルタと同時に文献や資料も海の底に沈んでしまった、と考えられるからだ。
それでも世界的に開けた時代……20世紀末から21世紀にかけて、その技術が外へ飛び出したこともあるだろう。それを探し出す。
また、伝統を継承した人を探す、ということについては、これはいくらか資料探しに比べれば楽ではある。
専門家や、その道に精通した人に尋ねれば、ある程度の情報を集めることが出来るだろう。コレクターなどでもよい。むしろ、コレクターの方が詳しいことなど多々あることだ。
だが、探す事と復興させる事では、まったく意味が違う。
「そうやって、何とか。今日の形まで持ってくることができました。うん、がんばった」
自分もそのひとりだと数えるように、彼はひとつ頷いた。
「でも、最近僕達職人ががんばればがんばるほど、一部の心ない人たちが言うんですよね。所詮は猿真似の偽物、いい気になってる嘘モノだって……。工房で夢中になってモノ作りに取り組んでいるマエストロの背中を見る度に、僕達徒弟はそれが悔しいやら、悲しいやら……とっても切なくなるんス」
その話を聞き、いくらか思い出すことがあった。
言うべきか、言わざるべきかを悩んでいると、灯里が「どうぞ」とお茶を差し出していた。
「それで、さっき工房にいた時、元気がなかったんですね」
「はい。スンマセンでした。八ツ当たりして」
アリシアが確認するように言うと、顔を伏せて、恥ずかしそうに謝罪していた。
元々、こいつはあんな無愛想な性格じゃないんだろう。誇りがあるのは結構だが……まぁ、だからまだ弟子なんだろう。
……親方がこいつに教えたいのは、『誇りは瑕つくものではなく、磨くものだ』ということなのかもしれない。
ぐいっ、とゴンドラが進み始めた。
「その人が嘘モノと感じるなら、それはその人にとっては嘘モノなんでしょう」
「!」
「人の価値観は十人十色ですもんね」
灯里がそう言うと、彼は顔をしかめた。
それくらい解ってる、とでも言いたげな表情だった。そりゃそうだ。本気で偽物という罵倒を受け止めていては、いろいろと保たないだろう。そのあとを、灯里は続ける。
「……グランマが言ってたんです。“笑顔っていうのは嘘か本当かじゃない”って。“思いやる心”があるかないかなんだって。それってきっと、笑顔だけじゃないと思います。だから、嘘モノだって言われて傷ついてしまうのは、貴方のネオ・ヴェネツィアンガラスに対する気持ちが、思いやりのこもった、本当のものだから、大切な大切な、貴方の心だからなんだと思います」
決して上手く言えているわけではなかった。
このあたりのことは、俺でも上手く説明できないだろう。ただ言葉にするだけでも難しい。
灯里は、本当になにをしでかすかわからないな。
「……ぶっちゃけ私、この世には嘘モノはないって思うんです」
そして、本当にぶっちゃけてしまうところとか、本当にわからない。
だが、それでこその灯里でもある。灯里の話はまだまだ続く。
「たとえば、マンホームから観光で訪れたお客様の中には、結局ここはかつてのマンホームのヴェネツィアの偽物だって言う人もいます。確かに、街の造りだけみれば真似っこかもしれません。でも、アクアとマンホームでは街が出来た過程も、流れた時間も違いますよね? 当然そこで過ごした人も、紡がれた思いも、違うと思うんです。少なくとも私の場合……本物か偽物か。全然問題じゃないんです」
静かに、でも熱い感情が込められているのが分かるほど、灯里は自分の想いを並べていた。
その感情はまるで宝石のようで……あぁそうだ、たったひとつしかない、灯里という宝石の輝きを放っていた。
ぶわっと視界が広がる。
いつの間にか水路を抜け、大運河に出ていた。
「だってネオ・ヴェネツィアが大好きで、その気持ちを宝石みたいに感じられる私が――――」
橋の下をくぐり抜け、空のした、大運河の流れに乗る。
「今、こうして存在しているんですもん」
そこまで大仰な言葉を並べた灯里は、ニカッと明るく笑うだけだった。
本人すら気付かないうちに、誰かの支えになっているとも知らずに、だ。
「あ、あはははは……。ちょっと偉そうでしたね、すいません」
「いや、そんなことないさ」
「あらあら、うふふ」
「…………っス」
そのまま空港までの間、会話はなくなった。
ただ重苦しい空気なんかじゃなく、どこかあたたかさで満ちた空気だった。
気の抜けるような、すぅっと体が軽くなる錯覚すら覚える。自然に微笑みがこぼれる。
間もなく空港に到着し、ゴンドラを固定している最中に、新太とおそらく社員だろう人々が出迎えてくれた。
そのまま流れ作業でガラスを運びだしていく。
「荷物、運びますね」
「あっ、はい。お願いします」
彼の視線は、いつのまにか灯里を自然に追うようになっていてた。
俺も荷物を運び出し終わり、新太の隣に立って、それを見ていた。
「……おい、小僧」
と、彼が前を通り過ぎる瞬間、新太が頭を掴んで捕まえた。
「オメーも灯里ちゃんの、ファンになっちまったのか」
そして、わざわざ前を歩く灯里に聞こえるように、少し大きめの声で問い詰めた。
前を歩いていた灯里とアリシアとが振り返り、こちらを注視した。
彼を見てみると、急なことにかなり緊張しているのか、目を丸くし、口を金魚のようにパクパクとしていた。
「えっと、あのその……どうっスかね。この気持ちが本物か偽物か、まだよくわからないけれど……素敵なウンディーネさんだなって感じてる僕は、確かに今こうして、ここに存在しいるっス」
言ってから自分が言ったことを理解したのか、一気に顔を上気させてしまった。
それは灯里もらしく、顔を若干染めつつ微笑んで返した。
「ありがとうございますっ」
場を引っかき回すだけ引っかき回して、新太がそそくさとこちらへ戻って来る。
「ククク。弟にライバル出現かっ」
「ほへっ? 暁さんはアリシアさんのファンですよ?」
「独り言独り言。気にすんなって、嬢ちゃん」
新太はそのまま業務に戻り、後日支払ということでその場は解散となった。
立ち合いの彼を工房まで送り、灯里とアリシアが帰ろうと言い出した時だった。ふと見た彼の顔がまた灯里を向いていた。
「……ちょっと、先に帰っていてくれ」
「? どうしたんですか、士郎さん」
「見学だよ。アリシアは夜に予約が入ってるんだから、先に帰って用意しておいてくれ」
「あ、はい」
少しだけ心配そうにしていたので、軽くアリシアの頭を撫でてやった。
この歳の女性の頭を撫でるのはどうかと思ったが、喜んでくれたようなのでよしとしよう。
「出来るだけ早く帰ってあげて下さいね」とだけ言い残して、灯里と一緒に帰って行った。
「お? 兄さん帰んなかったんか」
「見学しても構いませんか?」
「おうおう、ゆっくりしてってくれや。おい、茶出せ、茶っ」
「いえお気遣いなく」
とは言うものの、社交辞令というやつである。
お茶はしっかりと出てきた。
「……兄さん、なんか作ってたんか?」
「……ええ。まぁ、かじる程度の細工は」
「そうかい」
かつーん、かつーん。
しゃーん、しゃーん。
この暑い工房の中に、どこか涼しげな音が鳴り響く。
すっくと持ち上げ、先端のガラスの溶けた塊に息を吹き込み、大きく膨らませる。それはどこか、透明なヴェールを膨らませているような美しさがあった。熱による赤熱がグラデーションをかけたように消えていく様は、幻想的ですらあった。
「……さて、と。一区切りついたなあ、休憩だ」
どれほど見学していたかはわからないが、親方がこちらに歩いてきた。
真正面に座って、立ち合い人の彼が親方用のお茶を持って来て、俺のほうにもおかわりを注いでくれた。
その間に親方は一気にお茶を飲み干して、即座におかわりを貰っていた。
「それで、どうだった」
「聞きました。偽物だと言われているんだと」
「こいつ……余計なことペラペラと……。ま、それに関しちゃ違えねえ。情けないもんでな、未だに受け入れちゃくれねえ奴らがいんだよ。それもこれも、ま、誰のせいでもねえわな」
強いて言うなら俺のせいか、と言って豪快に笑ってみせた。
隣にいる立ち合い人の彼は、その言葉を聞いても平然と立っていた。もうなんでもない、そんな顔をしている。
「ま、なんだ。偽物だろうが本物だろうが、人の心を動かせれば、それはもう“あっていいもの”なんだよ。俺達が作ってるのはヴェネツィアンガラスじゃねえ。ネオ・ヴェネツィアンガラスなんだ」
わかってるか、と後ろの彼に言葉をかける。彼はコクコクと勢いよく頷くものの、調子に乗るなと小突かれた。
コップに入ったお茶を一気に飲み干してから、親方は立ち上がった。
「なんにしろ、ものを会得するってのはな、何事も“モノマネ”から入るんだ。まだまだ俺達のモノが偽物だ、猿真似だって言われててんなら、俺達の作品はまだヴェネツィアンガラスの域を出ちゃいねえってこった。俺達が目指すのは、ひとつの芸術品としてのネオ・ヴェネツィアンガラスだ。ま、見てな。俺が生きてるうちに認めさせてやっからよ」
ニカッと笑って、親方はまた作業に戻った。
戻る途中、今までとは違い、彼の頭を優しく叩いてから戻って行った。
「……俺もそろそろ帰るとするよ。お茶、ありがとう」
何か声をかける必要はなかった。彼は俺の視線に力強く頷いて見せて、見送りしてくれた。
その帰り道。親方が口にした言葉を、自分なりに考えなどしてみる。
いつか認めてくれる日まで……、諦めず歩み続ける。――――それは、俺とどこか似ている。
「綺麗だよな、どこもかしこも……」
偽物と本物。あってないようなもの。
認めるモノと認めないモノ。――……諦めない人と、立ち止まってしまう人。
「……信じてくれ、か。大言壮語だな」
アリシアに言った言葉。
『正義の味方』だと信じてくれ。『正義の味方』になれるように見ていてくれ。
俺はアリシアにそう伝え、彼女は笑顔で頷いてくれた。信じています、見ています、だからサボっちゃダメですよ、と言葉を添えて。
「偽物だろうが本物だろうが、心を動かせたなら“あってもいい”、か」
親方がこぼした言葉。
たとえ、俺が『正義の味方』として認められなくても、誰かがそう信じてくれれば、あってもいい。
ならむしろ、その人のために……。なんて考えるのは、傲慢だろうか。いや、それが、俺が選んだワガママであったはずだ。
“誰かのため”の正義ではなくて、“誰彼のため”の正義が俺の目指した『正義の味方』であったはずなのに、いつからか、大切なものが増えていった。今までは自分の理想だけがすべてで、それ以外に俺がいる意味があるなど、考えてもなかった。
人が人で、そこに当たり前のようにいる理由。
「俺もこの星のひとり……か」
いたいから、ここにいる。
肌を刺すような風は、あと数ヶ月もすれば包み込むような暖かさで花びらを散らすだろう。
ネオ・ヴェネツィアで迎える、3度目の春。
何かが進む。
そんな気がしてならなかった。
何かが変わる。
そんな気がしてならなかった。
どれもこれも、いい方向に進んでいく気がして、変わっていく気がして。
そうともさ。
俺にとって大切ななにかが、決定的ななにかが……芽生える気がした。
Navi:29 end
テーマ:自作小説(二次創作) - ジャンル:小説・文学



