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2018-12

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その優しい星で…  Navi:47

「なんなら料金でも取ってみるか」
「いえ、でっかい規則違反ですし……」
「だな」
 
 くつくつ、と士郎さんが笑う。
 ちょうど買い物帰りの士郎さんを拾ったのは、先輩たちとの合同練習が終わってからだった。
 いつもは挨拶を交わす程度でしかないのに、珍しく――というか図々しくも「乗せてくれ」と言われた次第なのである。
 それを悪く思ったのか、あるいは冗談の種に使ったのかはわからないけれど、さっきの台詞が出てきたのだ。
 
「士郎さんは……」
「ん?」
「士郎さんは、たとえば、ノリに乗っていてなんでもできる! って思ったことってないですか?」
「なんでも、か……」
 
 おとがいに指を当てがい、思い出すように唸る士郎さん。
 どこか遠くを見る目をしてから、ふっと笑う。それでもどこか懐かしげな表情を浮かべる士郎さんは、大人に見えた。
 
「あるかもしれないな。ただ、俺のは『がむしゃらになればなんでもできる』って感じか」
「そうですか」
「どうしたんだ、いきなり」
「いえ、なんていうか、今私でっかいそんな感じなんです」
「……怖いのか?」
 
 怖い? 士郎さんの言葉に、私は思わずキョトンとしてしまった。
 てっきり「そうなのか、頑張れよ」くらい言われると思っていただけなのだが……。
 まあ、それを言うと私もどうしてこれを聞いたのかってことになるわけで。
 
「怖くは、ないと思いますけど……」
「そうか。ならいいんじゃないか?」
「でっかいわけがわかりません」
「……アリスは、ゴンドラ漕ぐの好きか?」
「さっきからなんなんですか。……いえ、まあ、好きですけど」
 
 だから……というわけではないが、プリマウンディーネという仕事に憧れている。
 まだダブルだけど、学校ももうすぐ卒業できる。そうすれば、今からだって先輩たちに追いつける。
 それくらいの勢いと、「できる!」という確信が私の中にある。
 
「なら、好きで居続ければいい。上手くやらなければ、完璧にこなさなければ、なんて思わなくてもいい」
「昔の私は、ちょっとそうだったかもしれませんね」
「そうか?」
「はい。たぶん、ですけど」
 
 調子に乗っていた、ようにも思う。
 あの頃はとにかく周りに持て囃されていて、会ったばかりの先輩たちにもツンケンした態度を取っていたような記憶がある。
 それに、なんというか、今でもそんなに変われたようには思えないけど、無愛想だったと思う。
 ウンディーネという仕事に対して、どこかで勘違いしていたような気もする。
 
 思い返していたら顔が熱くなってきた。
 ふう、と一息ついて手の平で顔をぱたぱたとあおぐ。
 
「俺も偉そうなことが言えるほどまっとうな仕事してきたわけじゃないけど、それが嫌じゃないなら大丈夫だろ」
「……そういえば、士郎さんって以前はどんな仕事をしていたんですか? 喫茶店とか?」
「ああいや……そうだな、派遣社員……とはちょっと違うかもしれないけど、似たようなことしてたよ」
「魔法使いでしたっけ?」
「いや、うん。そうそう。はははっ、思い出したら恥ずかしいな……」
 
 士郎さんもなにやら思い出したくもない――というよりは思い返せば恥ずかしいことがあったのだろう。
 夕暮れに染まる浅黒い士郎さんの頬が、少しだけ緩んでいた。
 赤くなっているのかはわかりづらいけれど、たぶん、なっているのだと思う。
 
 徐々に真顔に戻っていく士郎さんの横顔を見つめながら、心のどこかで「なるほど、これが三大妖精の一人の恋人なのか」なんて、ちょっと下品なことを考えてしまう。下品ついでに、いつか私にもこんな風にいい関係になれる恋人はできるのだろうか、なんて、これまた的外れな考えが頭をよぎる。
 そんなことを考えてしまったからか、ふとこれまでの青春についてまで考えが及んでしまった。
 一にゴンドラ、二にゴンドラ、三四にゴンドラ、五にゴンドラ……。
 ああ、私の恋人はゴンドラだったのか――でっかい面白い、なんて。
 
「どうした?」
「え? なにがですか?」
「いや、笑ってたから」
「む。私が笑ってたらでっかいおかしいですか?」
「そうじゃないさ。灯里と藍華といるときなんかしょっちゅう笑ってるじゃないか」
「……その、私の青春ってゴンドラに乗ってばっかりだったなって思ったらおかしくて」
 
 私がそう言うと、士郎さんは意外そうな顔をしてキョトンとしてしまった。
 その後なにかを考えるようなポーズを取って、何度か私をチラチラと覗きこみ、どこか困った風な表情を浮かべて言った。
 
「今のアリスに青春を語られちゃあ、俺の立つ瀬がないな」
「あはは、なんです、それ」
「俺もいい歳だなってこと。……でも、振り返って笑えるってのは大事なことだ」
「はい。だって、たぶん、これって青春を謳歌したって言うんですよね」
 
 藍華先輩がいたらいつもの「禁止!」が飛んできそうな台詞だ。
 ちょっとうまいことを言えたような気がして、思わず顔がニヤける。
 
「ちょっと違うんじゃないか?」
「え、でも……」
「過去形でいいのか?」
「……ですね。私の青春はでっかいまだ始まったばかりです」
 
 なんていっても卒業間近とはいえまだ学生ですから。
 ――、と。
 
「ゴンドラ通りまーす!」
 
 うん。今はいい声が出せた。
 と、一人で納得していると、パチパチと士郎さんが手を叩いた。
 
「いつの間に声出せるようになったんだ?」
「士郎さんが知らない間にも、私たちはでっかい成長してるんです」
 
 えっへん、と胸を張ってみる。
 いつまでも以前の私のままだと思われては困る。
 それにいつまでも以前の私のままだったら、私だけじゃなくて、先輩たちにも申し訳ない。
 ただ巧く漕げればいいと思っていた私が、ここまでこれたのは私だけの力じゃないのだから。
 
 ああ、そうか。
 だから怖くないんだ。
 私がなんでもできると思っても、私よりもずっと素敵なことができる人たちがたくさんいる。
 私がどんなにすごくなっても、私よりもずっと前を行く人たちがたくさんいる。
 
 たぶん、きっと、こういうのを独りじゃないって言うんだろう。
 だから、だから怖くなんてないんですよ、士郎さん。
 
「でっかい安心です」
「ん。なにがだ?」
「……こういうときはでっかいスルーしてほしいです」
「ああ、ごめんな。なんかいきなり安心とか言われたら気になるから」
「これでも小声で言ったんですけど」
「地獄耳だからな。俺の悪口言う時は気を付けろよ~?」
 
 なんですかそれ、と笑う。
 ――うん。久しぶりに士郎さんと二人でお話をしたわけだけど、してよかった。
 狙ってやったのだとしたら「そこまで調子に乗って見えましたか」と訊きたくなるくらいだけど、たぶん、この人の場合はそんなこと微塵も考えてなさそうなので追求はしないでおくことにする。
 こういう人だから、アリシアさんも好きになったのかな、とさっきまでの思考に引き摺られながらも思う。
 
 ……そういえば、士郎さんのどういうところが好きなんですかと聞いたことがなかったな、とふと思う。
 私の個人的な感想というか評価――偉そうでこの言い方は好きじゃないけど――ならば、料理全般を始め家事洗濯は文句なし、本人も言っていた通り歳を取ったからか、アリシアさんという心に決めた人がいるからか、女性に対してガツガツしていないのもマル。灯里先輩から聞くところによると、仕事に対する姿勢も大変尊敬できるものらしく、特に接客が素敵だと言っていた。
 性格という点で見てもやさしいし、程よく厳しいことも言う。私たちに対するスタンスは兄のような、年齢から考えると父のようなものだ。顔も悪くない方だと思う。精悍な鼻筋に力強い眉、私はもう慣れたけど目だけは鋭くてちょっと怖い。
 
「話は変わりますけど、結婚式とかのご予定はあるんですか?」
「ん。今のところそういう予定は入れてないけど、もしかしたら協会の方が無理矢理にでも取り仕切りそうなのがなあ……」
「アリシアさんは、乗り気じゃないんですか?」
「小さい、友達を呼ぶくらいのパーティーみたいなのでも充分だって言ってたな。三大妖精とは言われてるけど、あれで前に出るのが苦手なんだ。海との結婚の時も、本番間近までずっと手を握られてたくらいだし……」
 
 さらりとノロケを入れられた。
 
「ごちそうさまです」
「あ、いや、参ったな……」
 
 真面目に無意識だったらしい。
 まあ、二人とも恩人と言って過言はないくらいお世話になってる人たちだから、二人が幸せな分にはまったく問題はないんですが。
 というか、こういうノロケはよく聞くような気もするんだけど、実際イチャイチャしてるような現場に出くわしたことがない。
 一体いつ――というか、普通に考えれば仕事終わりとかなんだろうけれど。
 そういえばアリシアさんは自宅を持ってたはずだ。士郎さんは灯里先輩と一緒に泊まり込みだって聞いたことがあるけど、今はどうしてるんだろう。と、そこまで考えて、「ああ、下世話なこと考えてるな」と自分でも思ってしまったので思考を停止。ゴンドラの操舵に集中する。
 
 それからしばらくして、ARIAカンパニーが見えてきたところでホッと一息を吐く。
 やっぱり普段乗せない人を乗せていると緊張してしまうようだ。ペアだからまだまだ先のこととはいえ、これが初見のお客様とかだったら……まだまだ接客できる自信がない。シングルになれば、確かプリマ付きならお客様を取っても良かったような覚えがある。そこのところ曖昧だから、帰ったら確認しておこう。
 
「今日は助かったよ、ありがとうなアリス」
「あ、いえ。私もでっかい練習になりましたし、それに――」
「それに?」
「士郎さんと二人っきりで話すことって少なかったですから、話せて良かったです」
「そうか。ならお互い様……かな?」
「ですね。でっかいお互い様です」
 
 笑い合って、士郎さんはARIAカンパニーの桟橋の上に降り立つ。
 どうせなら夕飯もどうだ、との誘いは遠慮しておいた。あのノロケを聞いた後では、一緒に食卓を囲むには私の勇気が足りない。
 ゴンドラの上で一礼してから、私は帰路についた。
 
 ――オレンジぷらねっとに帰る途中、プリマウンディーネとすれ違った。
 すれ違ったといっても、大運河の何隻も船が通っているような場所でなんだけど……。
 いつか、名も知らない彼女と並ぶことができるのだろうか。操舵技術はきっと誰にも負けないと、負けられないと思う。
 でも、私にはまだ課題は多い。シングルにもなれていないペアウンディーネの私には、まだ遠い場所だ。
 
 笑えるだろうか。声は出せるだろうか。
 そもそも、指名は入るだろうか。
 士郎さんと一緒にいるときはもちろんだけど、先輩たちに囲まれているときなら、私も笑えている自信はある。
 けれど私は、自他共に認める無愛想だ。誰が認めているかは知らないけど、無愛想だと自己分析するくらいはできる。
 
 そんな自己分析を持っていながらウンディーネになろうと努力しているのは――
 
「漕ぐことが……、ゴンドラを漕ぐことがでっかい好きだから……」
 
 最初はそれだけだったかもしれない。でも、今はちょっと増えた。
 これこそ口にしないけど、認め合える人たちと出逢えたから。
 あんな風になりたい、こんな風になりたい……っていう、憧れのような欲が出てきてしまったのだ。
 
 うん。
 そうだ。
 それこそ、今日士郎さんに言われたことじゃないか。
 
『なら、好きで居続ければいい。上手くやらなければ、完璧にこなさなければ、なんて思わなくてもいい』
 
 ウンディーネがどうこう言う前に、私はゴンドラが好きだ。
 認め合える、親愛なる先輩方が好きだ。
 無愛想で生意気で、ちょっと意地っ張りな自分も――、まあ、好きだ。
 
 好きで、好きで、好きで、たまらない。
 
 すり、とオールを撫でてみる。
 手袋越しに伝わる頼りがいのある感触。
 何気なくしゃがみ込んで、黒いゴンドラに手を這わせる。
 しっとりした手袋触り、ほんのり薫る潮。
 
 着なれたオレンジぷらねっとの制服。
 憧れの先輩と同じ、オレンジの意匠。
 
「なんでも、できちゃいそうですね」
 
 ぽつりとつぶやいたその言葉に、私は微笑んでいた。
 
 
 *  *  *  *  *
 
 
 数日後、アリスは無事ミドルスクールの卒業式に臨んだ――という話を灯里と藍華から聞いた。
 そう言えば、と卒業式の日程を思い出した卒業生である藍華が卒業式後の校門でアリスを出待ちしていたらしい。
 最初こそ怪訝な顔をされたらしいが、最後には笑っていたようだが。
 
 卒業式後にさっそく練習に向かったことには頭が下がる思いだ。
 俺たちが学生の頃なんて――まあ、中学時代なんだけど――卒業式が終わって友達と出かけるって言ったら飯食いにいくか、遊びに行くかの二択だったっていうのに。とはいえ、彼女らにとっての飯だとか遊びが練習に含まれているのだろうが……。
 
「おはようございます、ARIAカンパニーです」
 
 卒業式から一夜明けた朝、営業時間前のARIAカンパニーに電話がかかってきた。
 営業時間前とはいえ会社にかかってきた電話だ。マニュアルをなぞった電話対応をすると、向こうから慌てた様子が伝わってきた。
 なんだ、と怪訝に思って眉根をひそめ、もう一度呼びかけようとしたところで第一声が届く。
 
『あ、あの、おはようございます、オレンジぷらねっとのアテナ・グローリィですが』
「ああ、なんだアテナだったのか。珍しいな、朝っぱらから電話なんて」
『あ、あれ? えっと……まあ、いっか。それで灯里ちゃんはいる? あ、いないなら衛宮さんでも』
「ン。灯里か、今呼ぶ」
『えーと、はい、お願いします』
「ちょっと待ってな」
 
 言って、電話口を押さえて二階にいる灯里へ声を投げた。
 控え目な「はーい」という返事の後とてとてと階段を降りてくる彼女の姿を待ってから、受話器を掲げて指名だと伝えた。
 近くに寄って来た灯里にアテナからの電話であることを伝えてから受話器を手渡す。
 いつもの様子で受話器を受け取ると、その瞬間なにかに気付いたのか、ハッとして神妙な様子でそれを耳に当てた。
 
「はい。お電話替わりました」
 
 受話器から漏れる声が聞こえないよう離れて座った俺は、灯里の様子を見守ることにした。
 それほど長く話すことなく、灯里が感極まった様子で顔を真っ赤にして、瞳を潤ませ始めた。
 何度もうなずき、「よかった」と繰り返している。
 
「それじゃあ、希望の丘で待ってますね」
 
 最後のその一言で、俺も悟った。
 アリスがシングルへの昇格試験を受けるのだ。そう、プリマへの昇格試験も兼ねたものだ。
 アリシアが悩み、心の奥で望まぬ日が来てしまった。大きな変革をもたらす、その日が。
 
 電話を置いた後、灯里が言うにはアテナから「立ち会ってほしい」と頼まれたようだ。
 ということは、藍華の方にも同じ連絡がいっているだろう。アテナの想いは容易く想像できる。
 なんといっても、アリスがずっと一緒に練習してきた二人なのだから。
 
 灯里は笑いながら二階へ戻っていく。
 それを追って、俺も二階へあがる。案の定、灯里はアリシアに「アリスがシングル昇格試験を受ける」と話していた。
 先に時計だけを確認する。運良く、灯里が練習に出る時間になっていた。
 
 アリシアは灯里の話をいつもの微笑みで聞いていたが、その笑顔はどこか人形じみている。
 こういうことには勘の働く灯里のことだ、これ以上ここにいてテンションも落ち着けばアリシアの様子に気付いてしまうだろう。
 
「灯里、そろそろ練習に出る時間じゃないか?」
「えっ、あっ、本当だ! えっと、じゃあ、私今日は遅くなりますから、お夕飯はいらないです!」
「了解。アリスが無事合格したら、うんと祝ってやれよ」
「はひっ! それじゃあ、いってきまーす!」
 
 灯里が一階へとんぼ返りしていくのを見送ってから、アリシアへ視線を戻す。
 両手で顔を覆った彼女は深いため息と共に椅子に崩れ落ちるように座った。
 泣くまいと気持ちを強く持っている彼女と、自惚れかもしれないが、俺に泣きつきたいと思う彼女がいるのだろう。
 アリシアの対面に腰を降ろし、とんとん、と指先でテーブルを叩くと、彼女は顔をあげた。ひどい顔だった。
 
「灯里、嬉しそうだったな」
「はい。とても……」
「お前は? 会社は違っても、後輩じゃないか」
「ええ。もちろん、嬉しいです。嬉しいですけど……」
「……そう、だよな」
 
 タイミングを逃したな、と頬を掻く。
 まあ、それこそ逃したままなんて洒落にならない。
 大きく息を吐き出して、俺は立ち上がった。
 
「この前言ったこと、覚えてるか?」
「はい。覚えてますよ、もちろん」
「それでも不安……なんだよな」
 
 ゆっくりとうなずくと、アリシアは縋るような目で俺を見た。
 それを俺はしっかりと受け止め、彼女が言葉を紡ぐのをじっと待つ。
 
「それは、私……私、まだ士郎さんに言ってないこと……あるんです」
「知ってる」
「え?」
「って言うと、ちょっと違うな。あの日、ちょっと引っかかってた言葉があってさ」
「なにか言いましたっけ、私……」
「『灯里はARIAカンパニーを任せてもいいくらいに成長した』って言ってたな」
 
 アリシアがぎくっと身体を強張らせる。
 彼女は静かに俺を見て、くっと唇をきつく結んだ。
 
「ウンディーネ、辞めるんだな」
「…………」
「ごめん。急かすつもりはないんだ」
「いえ、でも、そう、はい……」
 
 もごもごと口ごもり、アリシアは俯いてしまった。
 灯里とのことを考えても、そもそも〝そうでなければ悩まない〟だろう。
 今生の別れでもあるまいし、なにをそんなに悲観しているのか、初めは俺もわからなかった。まあ、生き死にを観過ぎていた、という嫌な意味での慣れもあるんだろうが、それを除いてもアリシアの苦悩は度が行き過ぎていた。
 
 今の生活が愛おしい。それは素晴らしいことじゃないだろうか。
 
「俺も、アリシアに言ってないことがある」
「…………人を」
「それ以上は言わないでくれ。お前の口から、そんな言葉、出ちゃいけないんだ」
 
 アリシアもまた、俺の過去についてある程度の考察をしていたということだろう。
 この身体を見られたのは一度や二度じゃない。いつも愛おしそうな、でも悲痛な表情で俺の身体の傷痕を指でなぞっていた。
 俺はそれを、嬉しいような、悲しいような、割り切れない感情でいつも見ていた。
 
 悩んだだろうか。その懐疑を内心に渦巻かせたことは、どれほど心の重荷になっていたのだろうか。
 怖かっただろうか。俺が伸ばす手がいつ狂気に濡れるのかと、不安だっただろうか。
 ああ、こんなこと、考えたくない。でも、忘れたくもない。
 
「――俺は、今から最低なことを言うぞ。愛想を尽かして俺のことを叩きだしてくれても文句が言えないくらい、最低なことだ」
 
 アリシアよりも、むしろ自分に言い聞かせるように心を奮い立たせる。
 赦しを乞うことすら酷い話なのに、それを一足飛びに踏み躙る、極悪非道の大魔王もどん引く爆弾発言だ。
 カラカラに乾いた口の中は血の味がする。冷や汗に身体を震わせ、強張る全身の筋肉がプチプチと切れていく。
 
「俺はっ、だな! そういう過去を含めても、最後お前に――アリシアに逢えたのなら絶対に間違いじゃなかったと思える! ここに至るまでの道が屍の道だったのなら、俺が今から切り拓く道は折り返しだ。野ざらしになったままの彼らを、一人一人俺の手で埋めていく贖罪の道なんだ。死んだ彼らにとっちゃ俺なんて憎んでも憎み切れない相手なんだろうけど、だけどそれでも、俺は彼らにアリシアと出逢えたことを伝えて戻っていきたいんだ!」
「士郎、さん……?」
 
 言葉が溢れ出す。
 俺がここまで支えられてきた分、ここで支えられなきゃそれこそ嘘だ。
 たとえそれが、人殺しの手であっても。
 この手に塗り尽くせないほど流れた血すら、アリシアに証として刻みたいと思ってしまうほど好きなんだ。
 これまでのことを彼らに臆面もなく「赦せ」と言ってしまえるほど、俺はお前が好きなんだ。
 
「アリシアの悩みはお前のものだ。だけど、生まれる不安は俺が払う。切れそうな繋がりは俺が繋ぎとめる。お前の傍には俺がいる。だから悩んでも、迷ったりするな。お前のタイミングで、お前の想いで、まっすぐ前に進め。これくらいしか言ってやれない情けないヤツだけど、お前には笑顔でいてほしいから」
「……ありがとう、ございます」
 
 涙を湛え、アリシアがはにかむ。
 悩みが消えたわけではないだろう。ただ、それでもいいからと、伝えることができたらしい。
 まあ、以前にも言っていたわけだが、あれでは足りなかったと考えるべきだろう。
 
 アリシアは対外的な性格は朗らかで優しい、淑女然とした才女として知られている。
 その裏で、実は嫉妬深くて根に持つタイプという割と面倒な性格をしている。もちろん、その性格を発揮するのは晃やアテナ、俺くらいのものなのだが。――ともかく、転じて、アリシアはあれで悩みだしたら止まらないのだ。外野――というと聞こえが悪いが――がどれほどアドバイスや相談に乗ろうとも、それも踏まえてアリシアはさらに悩む。
 
 最適解――あるいは最良の解を己の中で見つけるまで、彼女はずっと悩み続ける。
 加えて、彼女は怖がりなのだ。最良の解を見つけられたとしても、その結果が怖くてたまらない。だからもう一度悩む。
 いや、彼女のそれはもう〝迷う〟と言ってもいいだろう。
 
 ああでもない、こうでもない、こうならいいのにと自らの理想郷を求めて――。
 
「ああ、なんだ、全然気付かなかったな」
「はい……?」
「俺たちって、似た者同士だったんだな、アリシア」
 
 同族嫌悪がなかったのは、見つめる理想郷に開きがあったからか。
 ――いや、違うな。そうじゃない。もっとロマンティックに行こうじゃないか。
 俺とアリシアがこういう関係になれたのはきっと、二人の理想郷を見ることができたからなんだって。
 
「うん。アリシア」
「は、はい。なんですか、士郎さん?」
「二人で、目指せばいい。俺はここにいる。アリシアも今を生きている。星の数だけ願いがあるなら、戸惑いながらでも、間違いながらでも、俺たちは俺たちの夢を――願いを強く信じ続ければいいんだ。そうじゃないのか?」
 
 今この瞬間の一秒は、空前絶後の一秒だ。
 その一秒を積み重ねて、未来は描かれていく。
 その時間は、きっと裏切らない。俺が、アリシアと出逢えたように。
 
 手を差し出す。
 大いに悩めばいい。だが、それを顔に出していては栄誉ある門出を祝福するのも無礼にあたる。
 答えは急がなくてもいい。焦りはあるだろう、だが、だからどうしたというのだ。
 
 時間が必要だというのなら俺がいくらでも稼いでやる。
 覚悟が必要だというのなら俺がいくらでも発破をかけてやる。
 何度でも何度でも、いつまでも俺は付き合う。
 
「そうかもしれませんね。でも、確かにちょっと……」
「うん?」
 
 アリシアが俺の手を取りながら、苦笑いを浮かべる。
 大事なことを忘れていませんか、と自然な動作で腕を組み、バルコニーへと連れて行かれる。
 潮の香りと、しっとりと肌を撫でる風、満天の青空と真っ白い雲が美しい境界を描いていた。
 
「士郎さんって、意外とネガティブですよね」
「な――ン!?」
「士郎さんが救った命も、たくさんいるんじゃないかしら」
「…………」
「だって、そうなんでしょう、正義の味方さん?」
 
 ああ、参った。完全に論破された気分だ。反論が浮かばない。
 ――いや、だからっていきなりキスはないんじゃないか。誰が見てるかもわからないってのに。
 っていうか腕を引っ張ってバルコニーまで連れてこられた手前、こいつ確信犯なのでは……。
 
 一瞬の思考を心の片隅に押し込み、雰囲気のままアリシアと見つめ合う。
 揺れる稲穂のように豊かな金髪は朝陽で澄み渡り、儚げだった表情も今は崩れて微笑みに変わった。
 やっぱり、アリシアには笑顔が似合っている。思い悩むことはこれからも多いだろうけど、そのときは俺が支えてみせる。
 
 そんな俺の思考が伝わったかはわからないが、アリシアはひとつクスリと笑って続けた。
 
「士郎さん、ありがとうございます」
「いや……ああ、どういたしまして」
 
 照れ隠しに思わずアリシアを抱きしめてしまう。
 顔が赤くなっているのは見られなくて済むが、心臓が早鐘を打っていることはバレバレだ。
 腕の中でうふふと笑うアリシアが、どうしようもなく愛おしい。
 
「俺の方こそありがとうだな、アリシア」
「あらあら、うふふ。どういたしまして」
 
 今度はこっちからアリシアの額に口付けすると、顔を隠すように俺の胸に頭突きをしてくれた。
 それなりの衝撃を胸に受けながら、しばらくすると腕の中のアリシアが小さく震え始めた。
 背中を軽く撫でて叩いてやると、彼女の口から嗚咽が漏れ出す。
 
「今は泣いたらいいよ。泣いて泣いて、最後に笑えれば儲けもんだ」
「はい……っ」
「でも、営業時間まであと半時間くらいしかないからな?」
「いじわるですよ……」
 
 嗚咽に混じったアリシアの笑い声が耳に届く。
 まったく、やっかいなお嬢さんに惚れてしまったものだと、似た者同士ながら笑ってしまう。
 誰も聖人君子になんてなれやしない。でも、誰かのためにこうやって涙を流して、笑えれば、それでいいじゃないか。
 
 だから今は――。
 きっと両手袋を外して再会するはずの少女のことを思って泣いて、笑って……。
 また明日を歩く糧にすればいい。
 
 生きている限り、明日はくるんだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                Navi:47   end
 
 
 
 
 
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テーマ:自作小説(二次創作) - ジャンル:小説・文学

コメント

読ませて頂きました。
結婚式が近づいてきてますね。
続き楽しみにしてます。

初めてコメントします!

「code」の歌詞が出てきた時鳥肌がたちました。
こういう「歌詞」と「物語」が重なる瞬間ってホント大好きです!!

まだ更新するのかな?
是非きれいに終わるまで頑張ってほしいです。

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草之 敬

Author:草之 敬
ブログは若干放置気味。
『優星』の完結目指してラストスパート中。
 
現在は主に一次創作を書いて活動中。
過去作を供養する意味もあって、いい発表の場はないものかとネットをさまよっている。

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