その優しい星で… Navi:48
「ねえ、聞いた? オレンジぷらねっとの有名な天才少女……えっと……」
「アリス・キャロル?」
「そうそう、その子っ」
談話室。
待機中以外にも、雰囲気が好きだからここに来ることは結構多い。
考え事や読書にも向いている。たしかに雑談は多いが、ほどよい雑踏が逆に集中力を研ぎ澄ませるというか……。
まあ、とにかくこの場所が好きなのだ。
「見習いから飛び級でプリマに昇格したんですって!」
どすん、と心臓に矢が刺さったような衝撃が走る。
「ええ――っ、何それ? 信じられなーい!」
「うそっ、すごすぎー!」
今日に限って居心地が悪い。
いや、私が悪いわけじゃないのはわかってる。いや、悪いのか?
そのあたりもわからなくて気持ち悪いが、たぶんこれも一因だろう。
「さっすが天才少女」
「前代未聞よねー」
確かに。確かに。
それは疑いようもない事実だ。アテナに相談されたこともある。
そして私も――忌々しいことに私も、アリスちゃんの実力は認めるところだ。
なにより操舵センスだ。天性のセンスがあって、さらに努力家。
ああいう天才は手に負えん。勝ちとか負けとか関係なしに良いように結果を創り出す。
最初の頃ははねっ返りの気があったみたいだけど、灯里ちゃんや藍華と練習を積んだ今じゃその気質も随分穏やかになってきた。アテナじゃなくても〝そう〟するだろうよ。無理を通してでも、大きな世界を見せてやりたいと思う。それが先輩の責任ってやつだ。
もちろん、藍華が駄目駄目ってわけじゃない。あいつは要領がいいからな。スポンジとはいわずとも、吸水性のいいタオルくらいには飲み込みが速い。あいつの武器は基礎だ。地味だが、地味だからこそ、揺るがしようのない自信に繋がる。
あいつは強い――!
「そういえば藍華さんは大丈夫かしら? いつも一緒に練習してたし」
「あっ、私も今それ思った」
「きっとすごく落ちこんでいるわよね」
「うん。いきなり後輩に追い抜かれちゃったんだもん」
「しかも相手はライバル会社の時期エースでしょ」
「今の藍華さん、姫屋の跡取りとして相当なプレッシャーに苦しんでるんじゃないかしら?」
――で、私は弱い。
今の一連の会話が聞こえてきたところで立ち上がり、最後には逃げるように談話室から走り去ってしまった。
心に渦巻く不安は親愛なる後輩様へのものだ。私の心をざわつかせるとは、いつになっても成長せんヤツめ。
とは言うものの、会ったところでなんと声をかけたらいい? 励ます? 檄を飛ばす? 叱りつける?
心の中の迷いとは裏腹に、足はまっすぐに藍華の部屋へと進んでいく。
と。
「おっと」
「す、すいませ――社長!?」
「ン。ああ、晃君か。随分慌てて、どうしたんだい?」
ぶつかることなく避けた人物は姫屋社長――つまり、藍華の父親だ。
今まで頭の中が藍華でいっぱいだったこともあって、しどろもどろになって言葉が出てこない。
「珍しいな」と笑って、社長は続けた。
「そういえば、藍華は最近どうかな」
「はっ!? ど、どうとは……」
「どうもこうも、親が娘のことを訪ねているだけだよ」
「あ、ああ、はい。藍華は――元気です」
「ふむ? まあ、私は経営者だからね。微塵も知らないというわけじゃないが、だからこそ聞いておこうかな」
私の言葉からなにかを察したのだろう。
顎を撫でつつ、社長はやさしく微笑んだ。
「オレンジぷらねっとのアリス・キャロルはどうかね?」
「っ……」
「忌憚のない意見をよろしく頼むよ。どうせ誰かに聞かれてもここは姫屋だ」
「そ、れは……。いえ、すいません、少しまとめます」
アリス・キャロル。
ミドルスクールに所属しながら、その操舵技術はプリマにさえ届くと評価された。
縁あって一度指導したこともあるが、なるほど確かにと内心唸ったのを覚えている。
だが、接客態度と声の大きさがいけなかった。無愛想で、聞き取りにくい声。観光商売のウンディーネにあるまじき欠点。
だが、それも徐々に解消されていった。
藍華と、もう一人。ARIAカンパニーの水無灯里という先輩を得て、アリス・キャロルは大成する条件を満たした。
ミドルスクール卒業までの期間、アリスちゃんはあらゆる面で成長した。三人娘の中で最も成長した。
歯に衣着せぬ意見者であったろう藍華と、人と接することに天性の才を持つ灯里ちゃん。そして本人の操舵の才。
駄目押しとばかりに、彼女の直接の先輩は三大妖精の一人、〝天上の謳声〟アテナ・グローリィだ。
人は一人ひとり、自分が主人公の物語を持っている。
だが、才ある人物はそれすら上回る〝伝え説かれる物語〟を持つ。
アリス・キャロルという少女は、まさしく『主人公』と『伝説』の格を併せ持って生まれた少女だ。
認めざるを得ない実力を持つウンディーネ。
伝説として語り継がれるだろう前代未聞の飛び級昇格。
そのすべての評価が、当然のもの。
「……と、まあ、こんなところかと」
「褒めるね」
「まあ。ですが、やはりプリマとしての自覚という意味ではまだまだでしょうし、周囲の期待やエースという肩書を背負えるほど精神も成熟してはいないでしょう。接客に関しても必要最低限ができるだけ――と考えることもできます。とはいえ、その『必要最低限』を満たさなければプリマにはなれないわけですが」
「成長の余地はある……か。ヘッドハンティングでもするかね」
「なんですか、突然。やめておいた方がいいのはわかりきってるでしょうに」
「いや、フム。言ってみただけだよ。ちょっと今、考えてることがあってね」
「それは、サンタ・ルチア支店に関係することですか?」
「耳が早いね。嘘を言っても仕方ないから、そうだよとだけ答えておくよ。それじゃ、引き止めて悪かったね。失礼するよ」
言って、社長は何事もなかったかのように歩き去ってしまった。
それをぼうっとする頭で見送りながら、頭の中では藍華のことばかり考えていた。
自然と、早鐘を打つ心臓に後押しされるように、また小走りになって、やがて全力疾走に変わる。
ハイヒールなんて知るか! と藍華に会いたい一心で駆け続けた。
当たり前だが、あっという間に藍華の部屋の前までやってきて、扉に手をかけたところで「あれ? そういやなんて声かければいいんだろう?」なんて今更なことを思い出した。その頃にはドアノブをひねってしまっていて、勢いのままに扉を開けて終いには「藍華!」なんて叫んでしまっていたのだから、もう後戻りできない。
「晃さん?」
「ぜー、はー……ぜー……」
「どうしたんですか? 真っ青な顔して」
「おい、藍華!」
「はい。なんでしょう?」
こいつ、なんでこんなあっぴろけーってしてるんだ?
いや、あっぴろけーってなんだよ私。いやいや、そうじゃなくて!
今考えるべきはそうじゃなくて! うわ、うわわ、なんて声かけりゃいいんだこれ!
と、金魚みたいに口をぱくぱくさせていると、藍華はもちろん首をかしげ始める。
「えっとだな……その、美味しいジェラート屋を見つけたんだが、今からどうだ?」
「? はい」
ジェラートを奢ると、藍華は幸せそうに顔を綻ばせて笑ってくれた。
その様子になんとも言い難い不安を覚える。今にも壊れてしまいそうな、空元気のようにも見えたからだ。
「なんか元気だな……」
「はい? はい、元気バリバリ君ですよ」
「ふうん……」
「なんですかー、もう」
ぼそりと呟くように言った独り言を聞かれてドキリとしたが、平静を装えただろうか。
当の本人はジェラートに夢中らしく、相変わらずの至福顔で食べている。
余計な心配、だとどれほどよかっただろう。
「そうだ、知ってます? 昨日後輩ちゃんが飛び級でプリマに昇格したんですよ」
「……っ、あ、ああ、らしいな」
まさか藍華の方からその話題を振ってくるとは思わなかった。
本人は何気ない話題のようにふるまっているが、その内心を察するに私の心中も穏やかでいられない。
痛いほど心臓が高鳴って、息もうまくできない。息ってどうやって吸って吐いてたんだ。
「私灯里と一緒にその瞬間を見れたんですよ。すごいラッキーでしょ?」
「お前、立ち会ってたのか」
「はい。片方の手袋外したと思ったら、続けてもう片方も外しちゃうんですもん。灯里と一緒になってビックリしちゃって」
……どうして。
「さっすが後輩ちゃん。天才はやることが違いますよー」
「藍華……」
「私は逆立ちしてもああいう風にはなれそうにないなあ。晃さんに手袋片方もう取られちゃったし」
「藍華……っ」
「私も負けないようにがんばらないと、ですね! 早くこっちも――」
「藍華!」
私は、知らずのうちに藍華を後ろから抱きしめていた。
なんでだろう。こうしないとどこかにふわふわ飛んで行ってしまいそうだった。
「もういい。もういいよ、藍華……」
耳元でささやく。
なんで私が泣きそうなんだ。ちくしょう藍華め、あとでとっちめてやるからな。
だから、だからちゃんと元気に――
「よ、よくありませんよっ!」
「うおっ!?」
がばっと私の抱擁を解いて、ちょっと不機嫌そうな顔を振り向かせた。
これ! と藍華が勢いよく指差した先には、さっきまでこいつが食っていたジェラートがべっとりと地面に……。
「ジェラート落ちましたよ! どうすんですか、せっかく奢ってもらったやつなのに!」
「いや、そっちじゃないだろ今は」
「え、なにが? ジェラート以上に今なにが大事だっていうんです!? 次ダブル買ってもらいますからね!」
「どんだけジェラート食いたいんだよお前は!」
ぶはっ! となぜか藍華が吹き出す。
大口を開けて笑う藍華はさっきまで感じていた儚げな雰囲気とは縁もなさそうで、いつもの藍華の明るさがあって。
こっちの方が虚を突かれてしまう。
「あっはっはは! もう晃さんってばおっかしいんだー」
「な、なんだよ。私はお前を心配してだな……」
「だからその心配の仕方が下手くそだって言ってるんですよ。もう、いっつも私に厳しくしてるから、優しくできないなんて不器用すぎじゃないですか? ホントに、ホントにもう……」
「……藍華?」
「晃さん。私、姫屋の藍華・S・グランチェスタは今! 大いに燃えているんですよ!」
「な、お、おおう……」
私にのしかかるほどの迫力で藍華が叫ぶ。
あまりの勢いに少し身を引いてしまい、自然と彼女の瞳を覗き込むかたちになってしまう。
それが、なんというか、今まで私が覚えていた儚げな藍華とは全然違っていて、思わず息を飲む。
「走るとき、前にちょっと速い人がいるときのあの感覚ですよ! 引っ張られて自分も早くなっちゃうアレですアレ!」
「お、落ち着け藍華。わかったから」
「いいえ、全然わかってません! もういいとか言う人が今のでわかったはずなんてありませんもん!」
「すわっ! お前意味わかってたんじゃねーか!」
こっちからも頭を突き合わせる勢いで反論する。
だが、藍華はたじろがない。ひたすらまっすぐに私の目を見返して、その力強い輝きを見せつけてくる。
「これはチャンスですよ、晃さん」
「お前……」
と――
そこで藍華はなぜか顔を赤くして俯いてしまった。
なにがあったと覗き込もうにも距離が近すぎる。頭突きされたら敵わん。
「後輩ちゃんがいないと、こんな気持ちに気付かなかった。だから私、後輩ちゃんには感謝してるんです」
「……うん」
「でも、その、本当に遅くなっちゃったんですけど……」
俯いていた顔をあげると、藍華の目には涙が溜まっていた。
ぎょっとするのも一瞬、瞳の輝かしさに曇りがないことに気付いた。
澄んだハニーアンバーの瞳。藍華とこんなに向き合ったのって、もしかしたら初めてかもしれない。
だからかもしれない。
意を決して何かを口にしかけた藍華の唇に、そっと人差し指を添えた。
「先に私に言わせろ。藍華、お前はなんていうか先輩愛に欠けていて、生意気で、弱虫で、すぐ泣いて、悩んで、縮こまって……」
「あう……」
「手の焼ける……いい後輩だったよ」
ポケットからくしゃくしゃに丸めた紙を取り出して、藍華に手渡す。
ゴミクズを渡されたと思った藍華が怪訝な目で私を見上げるが、知ったこっちゃない。
私は、たぶん、焦っていたんだと思う。今更だけど、気付いた。
アリスちゃんの才能と成長。
アリシアの苦悩を電話越しに何度も聞いたりもした。
アテナが羨ましいと思ったから、全力で後輩と向き合いたかった。
灯里ちゃんみたいに人付き合いが器用じゃないから、それもうまくできなかったけど。
私は焦っていた。
変わり始めた世界に、変わり始めた生活に、変わり始めた後輩に。
誰もがみんな、明日と向き合っていた。
私には、明日との向き合い方なんてわからなかった。
誰もがみんな変わりゆこうとしている世界でひとり、取り残されたような気になっていた。
変わる要素がどこにある? 変われる要素がどこにあった?
そんで、気付いたんだ。
「お前がいくら頑張ったって、頑張らなくたって、世界は回ってるんだぜ?」
「はい? それって、どういう意味なんです? なんかの暗号? ポエム?」
「すわ、置いてくぞ。すわ、乗り遅れるなよ。すわ、お前のことなんて、待ってやくれないぞ」
「ちょ、ちょっと、晃さん?」
変わろうなんて、無理に思わなくてもいいのさ。
変わる必要がないくらい、藍華は大きくなっちまってたんだもんな。
そりゃ、いつまでも子供と思って見てた私が度肝を抜かれるわけだよ。
すわだよ、すわ。ほんとすわ。あー、すわすわ。
「お前、来月の祝日の予定、どうなってる?」
「え? もう、なんですかポエム詠ったと思ったら予定を聞いて……。一応、その、アル君とお買い物などを少々」
「よし、それキャンセルな」
「んぎゃーす!?」
「その日しか私の休みがないんだよ。忙しいったらありゃしない。人気者はつらいわー」
「う、ううう……そんな殺生な……」
「詳細はその紙に書いてあるから、よく読んどけよ」
まだしょんぼりしながら、藍華がくしゃくしゃの紙を伸ばしていく。
伸ばし切った紙面にびっしりと書いた文字列に、すぐピンと来たらしい。
真顔になって硬直してしまった。
その肩をポンと叩いてから、私の足はジェラート屋に戻っていく。
「ほら、ダブル買うんだろ。置いていくぞ」
「あ、あのあの、これ!」
「お前が選ばないんだったら、私が選ぶからなー」
「ちょ、え、こ、これ!」
「落としたりしたら承知しないからなー」
「晃さんってば!」
照れ隠ししてるのに気付けよ馬鹿!
顔が火照っていることをせめて隠したかったが、そうも言ってられない。
振り向き、私は藍華に手を差し出す。
「ほら、行くぞ。未来の女王陛下?」
「……っ、はい!」
――ついてこれるか? なんてね。
Navi:48 end
「アリス・キャロル?」
「そうそう、その子っ」
談話室。
待機中以外にも、雰囲気が好きだからここに来ることは結構多い。
考え事や読書にも向いている。たしかに雑談は多いが、ほどよい雑踏が逆に集中力を研ぎ澄ませるというか……。
まあ、とにかくこの場所が好きなのだ。
「見習いから飛び級でプリマに昇格したんですって!」
どすん、と心臓に矢が刺さったような衝撃が走る。
「ええ――っ、何それ? 信じられなーい!」
「うそっ、すごすぎー!」
今日に限って居心地が悪い。
いや、私が悪いわけじゃないのはわかってる。いや、悪いのか?
そのあたりもわからなくて気持ち悪いが、たぶんこれも一因だろう。
「さっすが天才少女」
「前代未聞よねー」
確かに。確かに。
それは疑いようもない事実だ。アテナに相談されたこともある。
そして私も――忌々しいことに私も、アリスちゃんの実力は認めるところだ。
なにより操舵センスだ。天性のセンスがあって、さらに努力家。
ああいう天才は手に負えん。勝ちとか負けとか関係なしに良いように結果を創り出す。
最初の頃ははねっ返りの気があったみたいだけど、灯里ちゃんや藍華と練習を積んだ今じゃその気質も随分穏やかになってきた。アテナじゃなくても〝そう〟するだろうよ。無理を通してでも、大きな世界を見せてやりたいと思う。それが先輩の責任ってやつだ。
もちろん、藍華が駄目駄目ってわけじゃない。あいつは要領がいいからな。スポンジとはいわずとも、吸水性のいいタオルくらいには飲み込みが速い。あいつの武器は基礎だ。地味だが、地味だからこそ、揺るがしようのない自信に繋がる。
あいつは強い――!
「そういえば藍華さんは大丈夫かしら? いつも一緒に練習してたし」
「あっ、私も今それ思った」
「きっとすごく落ちこんでいるわよね」
「うん。いきなり後輩に追い抜かれちゃったんだもん」
「しかも相手はライバル会社の時期エースでしょ」
「今の藍華さん、姫屋の跡取りとして相当なプレッシャーに苦しんでるんじゃないかしら?」
――で、私は弱い。
今の一連の会話が聞こえてきたところで立ち上がり、最後には逃げるように談話室から走り去ってしまった。
心に渦巻く不安は親愛なる後輩様へのものだ。私の心をざわつかせるとは、いつになっても成長せんヤツめ。
とは言うものの、会ったところでなんと声をかけたらいい? 励ます? 檄を飛ばす? 叱りつける?
心の中の迷いとは裏腹に、足はまっすぐに藍華の部屋へと進んでいく。
と。
「おっと」
「す、すいませ――社長!?」
「ン。ああ、晃君か。随分慌てて、どうしたんだい?」
ぶつかることなく避けた人物は姫屋社長――つまり、藍華の父親だ。
今まで頭の中が藍華でいっぱいだったこともあって、しどろもどろになって言葉が出てこない。
「珍しいな」と笑って、社長は続けた。
「そういえば、藍華は最近どうかな」
「はっ!? ど、どうとは……」
「どうもこうも、親が娘のことを訪ねているだけだよ」
「あ、ああ、はい。藍華は――元気です」
「ふむ? まあ、私は経営者だからね。微塵も知らないというわけじゃないが、だからこそ聞いておこうかな」
私の言葉からなにかを察したのだろう。
顎を撫でつつ、社長はやさしく微笑んだ。
「オレンジぷらねっとのアリス・キャロルはどうかね?」
「っ……」
「忌憚のない意見をよろしく頼むよ。どうせ誰かに聞かれてもここは姫屋だ」
「そ、れは……。いえ、すいません、少しまとめます」
アリス・キャロル。
ミドルスクールに所属しながら、その操舵技術はプリマにさえ届くと評価された。
縁あって一度指導したこともあるが、なるほど確かにと内心唸ったのを覚えている。
だが、接客態度と声の大きさがいけなかった。無愛想で、聞き取りにくい声。観光商売のウンディーネにあるまじき欠点。
だが、それも徐々に解消されていった。
藍華と、もう一人。ARIAカンパニーの水無灯里という先輩を得て、アリス・キャロルは大成する条件を満たした。
ミドルスクール卒業までの期間、アリスちゃんはあらゆる面で成長した。三人娘の中で最も成長した。
歯に衣着せぬ意見者であったろう藍華と、人と接することに天性の才を持つ灯里ちゃん。そして本人の操舵の才。
駄目押しとばかりに、彼女の直接の先輩は三大妖精の一人、〝天上の謳声〟アテナ・グローリィだ。
人は一人ひとり、自分が主人公の物語を持っている。
だが、才ある人物はそれすら上回る〝伝え説かれる物語〟を持つ。
アリス・キャロルという少女は、まさしく『主人公』と『伝説』の格を併せ持って生まれた少女だ。
認めざるを得ない実力を持つウンディーネ。
伝説として語り継がれるだろう前代未聞の飛び級昇格。
そのすべての評価が、当然のもの。
「……と、まあ、こんなところかと」
「褒めるね」
「まあ。ですが、やはりプリマとしての自覚という意味ではまだまだでしょうし、周囲の期待やエースという肩書を背負えるほど精神も成熟してはいないでしょう。接客に関しても必要最低限ができるだけ――と考えることもできます。とはいえ、その『必要最低限』を満たさなければプリマにはなれないわけですが」
「成長の余地はある……か。ヘッドハンティングでもするかね」
「なんですか、突然。やめておいた方がいいのはわかりきってるでしょうに」
「いや、フム。言ってみただけだよ。ちょっと今、考えてることがあってね」
「それは、サンタ・ルチア支店に関係することですか?」
「耳が早いね。嘘を言っても仕方ないから、そうだよとだけ答えておくよ。それじゃ、引き止めて悪かったね。失礼するよ」
言って、社長は何事もなかったかのように歩き去ってしまった。
それをぼうっとする頭で見送りながら、頭の中では藍華のことばかり考えていた。
自然と、早鐘を打つ心臓に後押しされるように、また小走りになって、やがて全力疾走に変わる。
ハイヒールなんて知るか! と藍華に会いたい一心で駆け続けた。
当たり前だが、あっという間に藍華の部屋の前までやってきて、扉に手をかけたところで「あれ? そういやなんて声かければいいんだろう?」なんて今更なことを思い出した。その頃にはドアノブをひねってしまっていて、勢いのままに扉を開けて終いには「藍華!」なんて叫んでしまっていたのだから、もう後戻りできない。
「晃さん?」
「ぜー、はー……ぜー……」
「どうしたんですか? 真っ青な顔して」
「おい、藍華!」
「はい。なんでしょう?」
こいつ、なんでこんなあっぴろけーってしてるんだ?
いや、あっぴろけーってなんだよ私。いやいや、そうじゃなくて!
今考えるべきはそうじゃなくて! うわ、うわわ、なんて声かけりゃいいんだこれ!
と、金魚みたいに口をぱくぱくさせていると、藍華はもちろん首をかしげ始める。
「えっとだな……その、美味しいジェラート屋を見つけたんだが、今からどうだ?」
「? はい」
ジェラートを奢ると、藍華は幸せそうに顔を綻ばせて笑ってくれた。
その様子になんとも言い難い不安を覚える。今にも壊れてしまいそうな、空元気のようにも見えたからだ。
「なんか元気だな……」
「はい? はい、元気バリバリ君ですよ」
「ふうん……」
「なんですかー、もう」
ぼそりと呟くように言った独り言を聞かれてドキリとしたが、平静を装えただろうか。
当の本人はジェラートに夢中らしく、相変わらずの至福顔で食べている。
余計な心配、だとどれほどよかっただろう。
「そうだ、知ってます? 昨日後輩ちゃんが飛び級でプリマに昇格したんですよ」
「……っ、あ、ああ、らしいな」
まさか藍華の方からその話題を振ってくるとは思わなかった。
本人は何気ない話題のようにふるまっているが、その内心を察するに私の心中も穏やかでいられない。
痛いほど心臓が高鳴って、息もうまくできない。息ってどうやって吸って吐いてたんだ。
「私灯里と一緒にその瞬間を見れたんですよ。すごいラッキーでしょ?」
「お前、立ち会ってたのか」
「はい。片方の手袋外したと思ったら、続けてもう片方も外しちゃうんですもん。灯里と一緒になってビックリしちゃって」
……どうして。
「さっすが後輩ちゃん。天才はやることが違いますよー」
「藍華……」
「私は逆立ちしてもああいう風にはなれそうにないなあ。晃さんに手袋片方もう取られちゃったし」
「藍華……っ」
「私も負けないようにがんばらないと、ですね! 早くこっちも――」
「藍華!」
私は、知らずのうちに藍華を後ろから抱きしめていた。
なんでだろう。こうしないとどこかにふわふわ飛んで行ってしまいそうだった。
「もういい。もういいよ、藍華……」
耳元でささやく。
なんで私が泣きそうなんだ。ちくしょう藍華め、あとでとっちめてやるからな。
だから、だからちゃんと元気に――
「よ、よくありませんよっ!」
「うおっ!?」
がばっと私の抱擁を解いて、ちょっと不機嫌そうな顔を振り向かせた。
これ! と藍華が勢いよく指差した先には、さっきまでこいつが食っていたジェラートがべっとりと地面に……。
「ジェラート落ちましたよ! どうすんですか、せっかく奢ってもらったやつなのに!」
「いや、そっちじゃないだろ今は」
「え、なにが? ジェラート以上に今なにが大事だっていうんです!? 次ダブル買ってもらいますからね!」
「どんだけジェラート食いたいんだよお前は!」
ぶはっ! となぜか藍華が吹き出す。
大口を開けて笑う藍華はさっきまで感じていた儚げな雰囲気とは縁もなさそうで、いつもの藍華の明るさがあって。
こっちの方が虚を突かれてしまう。
「あっはっはは! もう晃さんってばおっかしいんだー」
「な、なんだよ。私はお前を心配してだな……」
「だからその心配の仕方が下手くそだって言ってるんですよ。もう、いっつも私に厳しくしてるから、優しくできないなんて不器用すぎじゃないですか? ホントに、ホントにもう……」
「……藍華?」
「晃さん。私、姫屋の藍華・S・グランチェスタは今! 大いに燃えているんですよ!」
「な、お、おおう……」
私にのしかかるほどの迫力で藍華が叫ぶ。
あまりの勢いに少し身を引いてしまい、自然と彼女の瞳を覗き込むかたちになってしまう。
それが、なんというか、今まで私が覚えていた儚げな藍華とは全然違っていて、思わず息を飲む。
「走るとき、前にちょっと速い人がいるときのあの感覚ですよ! 引っ張られて自分も早くなっちゃうアレですアレ!」
「お、落ち着け藍華。わかったから」
「いいえ、全然わかってません! もういいとか言う人が今のでわかったはずなんてありませんもん!」
「すわっ! お前意味わかってたんじゃねーか!」
こっちからも頭を突き合わせる勢いで反論する。
だが、藍華はたじろがない。ひたすらまっすぐに私の目を見返して、その力強い輝きを見せつけてくる。
「これはチャンスですよ、晃さん」
「お前……」
と――
そこで藍華はなぜか顔を赤くして俯いてしまった。
なにがあったと覗き込もうにも距離が近すぎる。頭突きされたら敵わん。
「後輩ちゃんがいないと、こんな気持ちに気付かなかった。だから私、後輩ちゃんには感謝してるんです」
「……うん」
「でも、その、本当に遅くなっちゃったんですけど……」
俯いていた顔をあげると、藍華の目には涙が溜まっていた。
ぎょっとするのも一瞬、瞳の輝かしさに曇りがないことに気付いた。
澄んだハニーアンバーの瞳。藍華とこんなに向き合ったのって、もしかしたら初めてかもしれない。
だからかもしれない。
意を決して何かを口にしかけた藍華の唇に、そっと人差し指を添えた。
「先に私に言わせろ。藍華、お前はなんていうか先輩愛に欠けていて、生意気で、弱虫で、すぐ泣いて、悩んで、縮こまって……」
「あう……」
「手の焼ける……いい後輩だったよ」
ポケットからくしゃくしゃに丸めた紙を取り出して、藍華に手渡す。
ゴミクズを渡されたと思った藍華が怪訝な目で私を見上げるが、知ったこっちゃない。
私は、たぶん、焦っていたんだと思う。今更だけど、気付いた。
アリスちゃんの才能と成長。
アリシアの苦悩を電話越しに何度も聞いたりもした。
アテナが羨ましいと思ったから、全力で後輩と向き合いたかった。
灯里ちゃんみたいに人付き合いが器用じゃないから、それもうまくできなかったけど。
私は焦っていた。
変わり始めた世界に、変わり始めた生活に、変わり始めた後輩に。
誰もがみんな、明日と向き合っていた。
私には、明日との向き合い方なんてわからなかった。
誰もがみんな変わりゆこうとしている世界でひとり、取り残されたような気になっていた。
変わる要素がどこにある? 変われる要素がどこにあった?
そんで、気付いたんだ。
「お前がいくら頑張ったって、頑張らなくたって、世界は回ってるんだぜ?」
「はい? それって、どういう意味なんです? なんかの暗号? ポエム?」
「すわ、置いてくぞ。すわ、乗り遅れるなよ。すわ、お前のことなんて、待ってやくれないぞ」
「ちょ、ちょっと、晃さん?」
変わろうなんて、無理に思わなくてもいいのさ。
変わる必要がないくらい、藍華は大きくなっちまってたんだもんな。
そりゃ、いつまでも子供と思って見てた私が度肝を抜かれるわけだよ。
すわだよ、すわ。ほんとすわ。あー、すわすわ。
「お前、来月の祝日の予定、どうなってる?」
「え? もう、なんですかポエム詠ったと思ったら予定を聞いて……。一応、その、アル君とお買い物などを少々」
「よし、それキャンセルな」
「んぎゃーす!?」
「その日しか私の休みがないんだよ。忙しいったらありゃしない。人気者はつらいわー」
「う、ううう……そんな殺生な……」
「詳細はその紙に書いてあるから、よく読んどけよ」
まだしょんぼりしながら、藍華がくしゃくしゃの紙を伸ばしていく。
伸ばし切った紙面にびっしりと書いた文字列に、すぐピンと来たらしい。
真顔になって硬直してしまった。
その肩をポンと叩いてから、私の足はジェラート屋に戻っていく。
「ほら、ダブル買うんだろ。置いていくぞ」
「あ、あのあの、これ!」
「お前が選ばないんだったら、私が選ぶからなー」
「ちょ、え、こ、これ!」
「落としたりしたら承知しないからなー」
「晃さんってば!」
照れ隠ししてるのに気付けよ馬鹿!
顔が火照っていることをせめて隠したかったが、そうも言ってられない。
振り向き、私は藍華に手を差し出す。
「ほら、行くぞ。未来の女王陛下?」
「……っ、はい!」
――ついてこれるか? なんてね。
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